清水 仁 「Let it Bar」へ 松尾 一彦 「つれづれなるままに」へ |
| |
|
人のご縁に感謝 02/12/16
人の思いというものは、1,000キロ以上も離れた場所にも届くもの・・・。
11月の山陽ツアーのことを前章で書きました。 今年のA.B.C.は、このようにいろいろなご縁をいただきライブができました。 その道のイベント制作のプロでもない、素人の方々との新たな出逢い。 私は今年一年を振り返ってみて、そのようなあたたかい心の方々とのご縁に、心から感謝している師走の日々なのです。
岡山のちっこいまりさんが挙手してくれての山陽ツアーが決定してすぐに、私は大阪の“BABAS”というバンドをやっている大谷一途くんに電話をしました。 「11月中旬に、岡山で三ヵ所ライブツアーが決まったんだけど、その前後で大阪でもできないかなあ?」と。 この電話を受けて、大谷くんはすぐにあちこち動いてくれました。 彼とは、二年前に私がプロデュースしている秋田県峰浜村主催の“峰浜村ポンポコ山音楽祭”にBABASが出演して以来の交友関係が続いていました。その昔、オフコースが好きで、私のドラムに影響を受けたそうです。 「大間さん、なんとかして大阪でもA.B.C.のライブをやりましょう!僕がなんとかしますから」との力強い言葉を、早速いただいたのでした。
彼の本当の職業は、とても堅い仕事をしています。 何しろふだんは“先生”と呼ばれているぐらいの方ですので。でも、とても気さくでお茶目で、人のいい大阪人に見える彼が、この仕事に就くまでには並々ならぬ努力があったそうです。 彼はまた、男気のある人でもあります。『やると言ったらやる。どんなことがあっても最後までやり通す』。このことを口で言うのは簡単ですが、なかなかできることではありません。このように今どき珍しい仁義のある男でして、ちっこいまりさん曰く、「大谷さんって、大間さんと同じ匂いのする人ですね」という彼女の言葉が正しいのかはわかりませんが、とにかく、彼に今回の大阪を任せてみようと思ったのでした。
昔の私たちは、全国のコンサート制作をするいわゆるイベンターの方々とおつきあいをしてきましたが、いまのA.B.C.にはその頃の方々とのおつきあいはなにもありません。この世界は厳しいです。商売にならなかったら、昔のつきあいのことなどなにひとつ関係ありません。 昔のオフコースのメンバーであっても、そんなこと何ひとつ意味を成しません。 『すべては、いま。いま、売れるもの。客が入るもの。採算が取れるもの』。 厳しいこの業界は、こんなルールで動いています。
そんな中で、敢えて東京に次ぐ大都市である大阪でライブがしたいと、大谷くんに言った私。いまのA.B.C.の知名度を考えると、それは地方で行うライブよりも数段経費も労力もかかります。まさしくチャレンジャーなのです。 イベント制作のプロでもない大谷くん。いろいろな障害が待ち受けているのにも関わらず、それをふたつ返事を了解してくれた彼の心意気。 いま思えば、岡山のちっこいまりさん同様、彼にもかなりの心と体と、しかも金銭的にも負担がかかったことと思います。 聞けば、チケットの売れ行きが芳しくなく週末には、家族で繁華街に繰り出し、チラシ配りまでしてくれたそうです。そのプレッシャーたるや・・・。 そんな思いまでしてくれた大谷くん・・・そんな話を聞いて、私はとてつもなく無理難題を彼に押しつけてしまったようで、実は心が痛みました。
こうして彼は、岡山ツアーが終わり大阪入りした私たちを計5日間にわたり、心からのケアーをしてくれました。 迎えた11月22日。大阪BIGCATライブ当日が無事に終わり、その夜は午前4時まで彼と一緒に過ごしました。一次会の打ち上げが終わり、二次会ではずっと隣同士で大阪ライブの余韻に浸っておりました。 このように、言った約束は最後まで守り、本当にがんばってくれた大谷くんには、ただただ感謝の気持ちしかありません。
翌日の大阪を離れる時、まずはメンバーを新大阪まで送り、その後は二人で関西空港に向かいましたが、車中で何気なく冗談は交わしていても、心はなんとも言えない寂しさでいっぱいでした。 そして、いよいよ関西空港の搭乗口付近で大谷くんと別れる瞬間・・・。 笑顔で笑って、心で泣いて、それも悲しみの涙ではなく、なにか同じことをやり遂げた仲間、同士みたいな心持ちで、彼に感謝の意を告げました。
ちっこいまりさんからの一通のメールから始まったこのツアー。 岡山→勝山→倉敷→岡山→大阪と、二人で繋いでくれた、このツアー。 11月15日からロードに出て、もう九日目になっていました。 この9日間のこと、ちっこいまりさんと大谷くん始め、お世話になった方々のことを思うと、今でも胸が熱くなります。 ご縁のある方々に支えられて、熱い思いに後押しされて、いろいろな障害や困難を乗り越えて、このたびの山陽&大阪ツアーは幕を閉じました。 A.B.C.として活動を始めて早や3年。このような形でライブができるなどと考えたこともありませんでした。 ちっこいまりさんも、大谷くんも、そしてうっしーことFM岡山の牛嶋さんも『A.B.C.に来ていただき長年の夢が叶った!』と大いに喜んでくれましたが、私としても10数年行けなかった土地に行けたのですから、まさしくこちらの方こそ夢を叶えてくれてありがとうございます!という気持ちなのです。 ホントに佳きご縁に感謝いたします。
OMA
追伸 この後、彼からメールが来ました。 「大間さん、先日はありがとうございました。(中略) それより、うちの嫁さんのA.B.C.病、結構重傷です(笑)。『あぁ、チラシ、蒔きに行きたいなぁ〜!』なんて言ってます」。 ああ、なんと嬉しい言葉なんだろう!!! でも、大谷くんの嫁さん、今度はあなたにあんなしんどい思いをかけないようにしますからね。大丈夫、任せなさい! 大谷くん、そしてご家族の皆さん、ホントにお世話になりました。難儀をかけました。 ホントに大変だったことでしょう。これに懲りずにこれからもおつきあいを宜しくお願いします。また大阪に行くからね。 旨い店、探しておいてね!!! |
|
人の思いというものは 02/12/04
人の思いというものは、1,000キロ以上も離れた場所にも届くものです。 嘘ではありません。ホントの話です。しかもメールにおいても。
そう、このたびのA.B.C.岡山山陽ツアーの発起人である、ちっこいまりさんこと、橋本“ハッチ”まりこさんのことです。 このハッチという愛称は、ツアー初日の岡山で初対面の仁さんに早々と命名されてしまいました。仁さんは昔からニックネームをつける名人でした。 その昔、オフコースのツアーメンバーだった楽器スタッフにも、こんな感じでした。 「おまえは、Mちゃう(違う)な。うーん、そうやな。そう、辻や!」。 その翌日から、彼のことを誰も本名で呼ぶ人はいなくなりました。 またある時は、世間話をしている時に、スタッフの子供の命名までしたほどでした。 もちろん、そのスタッフは仁さんの名付けた名前を自分の愛息につけたのでした。
ごめんね、ハッチ! でも可愛い愛称でよかったね。 ハッチこと、賢い彼女からこんなメールが来たのは、今年の3月のことでした。
『うーん、どうしよう? ホントに真剣に思ってくれてるのかな・・・』。
最初に、私は実はこう思いました。 今年は実際けっこう冷やかし?っぽいものも多かったですから。 果たして彼女はどのくらい本気(マジ)なのかと思いつつ、返信メールを打ちました。 そうして、ハッチとのメールのやりとりが始まりました。
今まで逢ったこともない、顔も知らない方とのメール通信。 それも一応A.B.C.のファンの方です。失礼にならない程度に、でもあまり固すぎず、適度にフレンドリーに、当初はやりとりをしていました。 でも、そのうちに彼女の真剣さがひしひしと伝わってくる瞬間がありました。 たかがメールです。お世辞や美辞麗句などいくらでも書けてしまいます。 手紙であれば書く文字が汚いなどと心配する必要もありますし、その行間に思いが、書き手のホントの心というものを忍ばすことも、ある程度、いや、かなり可能です。
何通かやりとりした後の、彼女のメールの文面から、その思いを直感的に感じた瞬間を今でも覚えています。メールでも、充分に伝わるのです。これはホントに・・・。 彼女の思いは、しっかりと私の心に伝わりました。 それからは、実に具体的な開催への方向性をいくつか提案しました。 今までこのような音楽制作の仕事など一切したことがない彼女でしたが、持ち前の賢さと行動力の素晴らしさは、ここからすぐに発揮されることとなりました。
まずは週末を利用して、実際の開催地となるべき会場へ出向き、オーナーさんたちと自ら開催の方向性を探ってくれました。それをひとつひとつ丁寧にコメントと画像付きで、報告をしてくれるのでした。 こうなると、もはや現地マネージャーや現地制作プロモーターの領域です。 いやいや、その方々と決定的に違うことがひとつだけあります。大きな違いが、実はひとつだけ・・・。 全国の現地制作プロモーターの方々、ごめんなさいね。この先は総体的な私見ということで勘弁してくださいね・・・ははははは。 それは、『愛がある』と、いうことです。 愛と言えば、かなり安っぽい表現に聞こえるかもしれないですけど・・・あの方々を呼びたい、我が町に来て欲しい、という切実な思いを持っているということです。 さあ、皆さんでご一緒に。♪♪♪『最後に、愛は勝つ!』♪♪♪
いやいや、これはマジな話なのです。ごめんなさいね。 ハッチのそんな思いがメールに乗って、この私の心にぐいぐいと伝わってきました。 それからは、すべての展開が非常に早かったのでした。自分としては、とても優秀な現地マネージャーができた気分でした。 ハッチの持ち前の好奇心旺盛で負けず嫌いの性格もあったのかもしれませんが、ホントに真面目で賢い女性だなあと印象を持ちました。 やると言ったらやる。必ず、やる。それも最後まで泣き言を言わず、やり通す。 それは男女を問わず。私がやりますと言って手を挙げたら、最後まで信念を絶対に貫く。私が思うところは・・・やはり、ここです。
本ツアーの約1ヶ月前に、私一人で岡山にプロモーションに出かけましたが、文面から受ける印象そのままで、初めて逢った気がしなくて(そう、彼女は8月の終わりの札幌ライブにも自費参加してくれたのです。見よ、このやる気を!)、とてもさばさばした彼女とは、ラーメンの話やオヤジ話(常々職場の後輩からもオヤジっぽいと言われているそうです!)で意気投合してしまったのでした。 正直な話、これはマネージャーの素質充分!と判断しました。
そして、11月15日から岡山入りし、待望の本ツアーが始まりました。 ハッチの念願だった、A.B.C.岡山山陽ツアー・・・それも三ヵ所です! 詳細は、ハッチの渾身の素直なリポートをごらんください。
ハッチは、こうして都合4日間にわたる、男所帯のこの私たちのツアーのケアーを、見事にやってくれたのでした。 彼女にとって、それはどれほどの緊張感溢れる4日間だったことでしょう。 その心を察すると、胸がつまります。
ハッチ、お見事! よくがんばりました。 ハッチ、お疲れさま! ホントにホントにありがとう!!! あなたのおかげで、とてもいい山陽ツアーができました。 あなたの思いのおかげで、佳き心根の方々と出逢うことが出来ましたこと、 心より感謝いたします。 心よりの感謝を込めて・・・
OMA
追伸 この後の大阪ツアーに際してのことは、後日書かせていただきます。 いろいろなドラマがありました。 このツアーに関わっていただいたすべての方々に感謝いたします。 |
|
嵐の男来る! 02/11/07
11月1日(金)雨のち曇り、時に霙(みぞれ)
明日は、一年ぶりの旅団のライブだ。 「あんべ光俊音楽旅団チャリティコンサート in あきた」のリハーサルのために、あんべさんと旅団メンバーが、午前中に秋田入りした。 この2,3日の秋田の冷え込みは、厳しいなんてもんじゃない。秋田市郊外の太平山にも初冠雪が!これは、まるで11月下旬から12月の気候である。 このところ霙(みぞれ)は降るわ、雹(ひょう)は降るわで、これはやっぱり『あの男』が来秋するからではないだろうか、と秘かに思う。 その彼が、旅団メンバーと共に秋田駅に降り立った。KEYの竹やんとはホントに一年ぶりの再会となる。ペースの吉田くんとはいろいろな場面でのCD制作で一緒だった。 松尾とは言うまでもない。 嵐の男・・・あんべさんとは、8月の岩手県藤沢町以来だ。いやいや先週プロモーションで秋田に来ていたのだった。ごめん、少し太ったかな?貫禄がついた感じでもある。 あとはみんな相変わらずの笑顔で、和やかなムードの中、リハーサルが始まる。 途中、今回の実行委員のメンバーたちが、きりたんぽの炊き出しをしてくれる。 このところ急に寒くなったので、あたたかい昼食はありがたい。 新曲「天空アテルイ」はとてもいい曲だ。だが、おれには譜面も歌詞カードも何も渡されてはいない。一週間前に、あんべさんからCD-Rを渡されたのみ。このライブバージョンは、トライの仕方がけっこうむずかしい。 こうして一年ぶりに、旅団のメンバーたちと音を出し合い、なんとか形になる? いやいや、ホントはこんな形で少なくとも3日は欲しいところなのだが・・・。
夜は、秋田市内のスペイン料理の店・グランビアにて夕食。 実は、この日おれは、ラジオの日だったのだが、今夜だけはリハーサルのために前日に収録していたのだった。今夜のアイテムは、“J'S 7周年特別企画・オフコース特集”である。 先月から継続しているこの企画・・・けっこうまめにアルバムごと紹介している。 そして、話し出すとキリがない。喋り始めると、あれもこれも、と出てくるのである。 当時の逸話(五輪)真弓が・・・ふふふ。今夜は、1979年の「あの曲」をかけた。 おれは、このたびけっこうレアなオンエアーをしているのです。番組を始めて早や6年、この秋になって何を思ったのか、この特集をすることをふと思い立ったのである。 まあ、多くは語るまい、そして何も聞かないでおくれ。。。。。 ぜひとも、みなさまに聴いて欲しいのであるが、如何せん、ローカルな番組である。 いろいろ方法を講じて、聴いていただきたいと思うが、やはり無理???
11月2日(土)雹(ひょう)、雨のち曇り
朝から荒れ模様の天気。今日だけは晴れて欲しいのに、朝っぱらから雹(ひょう)が降る凄まじい天候の中、秋田県児童会館に楽器を搬入する。 今日は懐かしい顔が勢揃いしている。岩手あんべスタッフチームもボランティアで参加してくれている。ありがたいことだ。 今日のおれの役目は、旅団の出演メンバーでありながら、実行委員会事務局のメンバーとしての全体仕切り、つまり総合プロデューサーという大役なのだ。 出演メンバー全員のそれぞれの立ち位置から、リハーサルの時間配分まで、全体進行をチェックしながら今日一日慌ただしく過ごすことになる。でも、ありがたいことに、いつも全幅の信頼を寄せているOくんがいるので、あとは彼に一切を任せることにする。早め早めの早見優!リハーサルを終え、あとは開場を待つのみである。 午後4時開場、4時25分、渡辺禎子実行委員長開会挨拶、そして4時30分開演。 思い描いていた通りの開幕となる。 あんべさんの発案で、オープニングから出演者全員が勢揃いしての「オハイエ」の大合唱となる。なかなか感動的な幕開けである。 その後は、あんべ光俊音楽旅団と共に、三戸学さん&La・mia(秋田大学フォルクローレサークル)、荒川ファミリーアンサンブル、Megu-mixと熱演が続く。それぞれが、素晴らしい演奏を聴かせてくれた。 障害を持っている人も、持っていない人も一緒に何かを作り上げていこう、というこの今回のコンサート・・・グランドフィナーレは、もう一度出演者全員による「オハイエ」の大合唱となる。 もう誰もが、じっとしていられない。福祉施設に通うお馴染みの彼がジャンプを始めた。今年から小規模作業所に通うことになった彼女が、一緒になって唄っていた。 終演後は、出演者もスタッフも、何かをやり遂げたという達成感と共に、みんな本当にいい顔をしていた。 ところが、楽器をかたして搬出する折りの天候の荒れ具合といったら・・・それは凄まじいものだった。みんなの心はあったかだったが、外はたいへんな嵐だった。
今回は、あんべさんの歌が、久しぶりに心に入ってきた。 詞が心に染みわたった・・・そんな素敵なライブだった。 実は今年2月に、いつも岩手でドラム周りを手伝ってくれていた心優しき男Mくんが亡くなった。彼と最後に逢ったのは、ちょうど一年前。岩手県久慈市で開催された旅団でのコンサートだった。 彼は最愛の子ども3人を残して、おれたちにも別れも告げずに突然旅立ってしまった。 しかも、まだまだ働き盛りの40歳という年齢で。 アンコールで演奏した新曲「天空アテルイ」を彼にも聞かせてあげたかった。 合掌。
OMA |
|
プロモーション日記(錦秋の備中路編) 02/10/18
10月12日(土) 晴れ 朝早く、2日間過ごした大阪を後にして、山陽新幹線にて一路岡山へと向かう。 14年ぶりの岡山駅では、橋本まりこさんが出迎えてくれる。今回の山陽ツアーの発起人というか、この人の男気(女性なのに?)に気持ちが動き、このたびの3ヵ所のツアーが決定したのだった。詳細は後ほど・・・。 まずは、山陽新聞社での取材。文化家庭部の岡田智美さんは、備中美人(地元ではこう言うのかな?)である。午前10時からという朝早いインタビューであったが、少しづつ口も滑らかになっていく。 その後は、地元で人気のラーメン“やまと”に入り、早い昼食をとる。注文は隣のおじさんが食べているカツ丼も美味しそうだったが、もちろん中華そば。悪くはない味。 普通に旨いという評価をしておく。 そして、今回のメイン・プロモーションのひとつであるエフエム岡山に入る。 このたびの岡山公演には、後援としてエフエム岡山さんがバックアップしてくれているが、そのご縁を作ってくれたのが、同局の人気DJの牛嶋俊明さんである。(http://www.ne.jp/asahi/dreamtrain/shasho/)。 彼は、なんと秋田県出身である!!!おおー、わが同県人よ、岡山でがんばってるんだね!さっそく形式的な名刺交換などをするが、なんか初めて逢った気がしない。 「久しぶり。元気だったー?」と、思わず言いそうになったほどだ。いや、こんな感じで初の挨拶を交わしたかもしれない。不思議なものだ。彼の人なつっこい笑顔がまた、どことなく福山雅治に似ていて、勝手に親しみを覚えてしまう。 さっそく、彼の番組である、通称“ベリベジ(VERY VERY VEGETABLE〜毎週金曜担当11:30〜12:55 OA)”収録が始まる。 そうそう、彼はその昔、筋金入りのオフコース・ファンだったそうだ。それゆえに「大間さんの“白いシャレ”が楽しみです!」とハナっから言われてしまった。 白いシャレ・・・昔のファンの方なら、この言い回しが誰のものかわかると思うが。 昔とった篠塚(ごめん、杵柄でした!)ばりの、白いシャレを巧み?にまぶしながら、爆笑トークが繰りひろげられていく。昔をわかる人は、ある意味ではやりやすい。 マジに掘り下げて聞いてくる人には、こちらも誠意を持って対応するし、ただの営業インタビューだったら、こちらもそのような通りいっぺんの答えしか返せない。そんな絶妙な間というものがあるものだ。彼は、おれや、バンドの昔のことをかなり知っているだけに、どんどん話しが弾んでいく。 途中、仁さんと松尾にも電話インタビューをして、またもや軽妙に話しを繋いでゆく牛嶋さん。さすが、元ファン、と感心する。「松尾さん、“君を待つ渚”の『愛してる』って言ってくださいー!」なんてことは、そうそう言えたもんじゃない。 この模様は、本日10/18(金)にOAされたという。うーん、聴きたいっすね。
さて、今回はプロモーションと共にお初の会場をそれぞれ下見に行き、主催者の方々にご挨拶をと思い、幾分強行なスケジュールを立ててしまった。 アテンドの橋本さんの愛車に飛び乗り、まずは一路、県北の勝山町を目指す。勝山は山あいの綺麗な町であるが、その中にひときわ瀟洒な造り酒屋がある。ここが西蔵の本家である御前酒蔵元・辻本店である。初日の会場である“西蔵”は、これがまた素敵な和風レストラン。天井も高く、いい音がしそうである。 ロマンスグレイの辻社長、そして素敵な奥さまにご挨拶。ジャズ・ファンの御主人は、趣味が高じていつしかこのお店でジャズライブをやるようになったと言う。大物ミュージシャンたちも一度お店に来ると、ゆったりするらしく、演奏後もお酒とお料理を大いに楽しんで帰ってゆくのだという。うーん、わかるね。その感覚。その気持ち。 病みつきになりそうだよね、ここは。つっちーがかなり気に入りそう。A.B.C.がJAZZ以外では初のアイテムだと言う。よし、がんばらねば・・・と思う。
西蔵を出ると、外はすっかりと黄昏。山々が金色に染まってゆく。紅葉にはまだ少し早いが、これぞまさしく錦秋の備中路。車は南下して、今度は倉敷に。 懐かしい倉敷。全国の中でも好きな街のひとつだった。蔦のからまるアイビースクエア(このホテル名がなかなか思い出せなくて一苦労しました)に泊まり、メンバーと周りの街並みを散策したものだった。 今回の会場は、“COOKIE JAR”。小振りなライブハウスであるが、白い一戸建てでとても雰囲気がある。外観はまるでフランスの小さな洋館の風情。オーナーの仁科さん、ブッキングマネージャーの平松さんともに素敵な方である。「何もわからないまま、5年目を迎えました。狭いところですみません」と仁科さん。 いやいや、そんな、なにをおっしゃいますやら・・・。ここはホントに至近距離で、目の前でライブが楽しめるという利点があるし、アーティストとお客さんの一体感が出るライブハウスだと思うので、倉敷の方は要チェック! 前後の会場とは違った楽しみ方ができると思うし、そんなライブをやりたいと思ったのである。
さて、倉敷を後にして車は岡山へと戻る。岡山市内に入り、ようやくお楽しみの夕食である。今夜は、先に登場したエフエム岡山の牛嶋さんと彼の後輩である、DJの梶原良太さんも同席しての懇親会。瀬戸内の海の幸は、いまが旬である。 二次会は、岡山での公演会場である“MO:GLA(モグラ)”へ。一見どこにでもあるビルの地下を降りていくと、そこには・・・以外と広々としたスペースがあり、ちょっと驚き。このゆったり感、一度座ったら、地上のおうちへなかなか帰りたくなくなる、このまったりとした空間・・・これぞ、モグラ!!! この雰囲気が、ここの真骨頂なのだとわかった。オーナーの息子さんの福武世史記さんは、この春まで東京に居て、あるギタリストのローディをしていたそうだ。お父さんであるオーナーを中心に、ご家族で仲良くお店を切り盛りしている。この山陽ツアーの締めは、ここに決めてよかったと思う。ゆったりとしたライブをしようと思う。
モグラから地上に出た4人。今夜の〆(締め)は、おれの提案で、「やっぱラーメンでしょ?」。一同大賛成(あきれ顔の橋本さん)で、牛嶋さんお奨めの“丸天そば”に行く。メニューはたったひとつ、中華そばのみ。さてお味は?これが、なかなかいけてる!スープが絶品で、たちまち完食!!! 男3人にまじり、最後までおつきあいしてくれた紅一点の橋本さんもなかなかのもの。 お勘定の段になると、「ここは私が・・・」と、かなりの男気?を発揮してくれる。 大阪からのこのツアーで、おれは完璧に太ったなあ、と少し後悔しながら、ベッドに入った。
10月13日(日) 曇り、やや小雨のち晴れ 朝方、ホテル周辺のマーチング・バンドの練習の音に起こされる。爆睡していた。 なにかイベントがあるらしい。今日は午後からのエフエム岡山・梶原さんの番組の収録まで、フリータイム。午前中は橋本さんの提案で、岡山城に行く。慶長2年(1597)に、宇喜多秀家が築いたこの城は、別名「烏城(うじょう)」とも呼ばれる黒塗りの城である。 天守閣に登り、後楽園と四方を見下ろす。当時、日の出の勢いの秀吉のもと、57万石を誇っていた城主・秀家は、後の関ヶ原の戦いで敗北、八丈島へ流罪となるまで、この城下町をこうして見下ろしていたのだと思うと、なかなか感慨深いものがある。 栄枯盛衰・・・遙か昔の戦国時代に、一瞬だが、思いを馳せる。
さて、前夜の締めのラーメンの後、牛嶋さんが岡山でいまイチオシのラーメン屋を紹介してくれた。人気店なのでなかなか繁盛しているらしく、午前中の早いうちに行こうということになり、“龍や”に行く。若い店員さんたちが元気なお店である。さて味の方は・・・うん、いける!こく旨こく玉入りを注文したが、なんなく完食。博多ラーメンを思い出させる、白濁スープと固めの麺のマッチングはナイス!!! この後、エフエム岡山・梶原さんの番組(TWILIGHT PAVEMENT〜毎週火曜&木曜担当16:00〜18:00 OA)収録が始まる。彼は、オフコース&ニューミュージック世代とはかけ離れた1975年生まれ。予備知識がない彼には、A.B.C.もオフコースもとても新鮮に映ると話してくれた。なかなかナイスなVOICEを持った彼。今後の活躍に期待したい。 こうして1泊2日の岡山プロモーションが無事終了し、岡山空港へと向かう。 大阪から含めると3泊4日の一人A.B.C.プロモ旅の全行程が終了。「明日に繋がりますように」と念じながら、橋本さんの見送りで岡山空港より東京羽田、そして乗り換え(乗り継ぎ?)をして秋田空港へと戻る。 途中、羽田での待ち時間、秋田便のゲート周辺では懐かしの秋田弁が聞こえてくる。 故郷とはなんと懐かしきもの。だが、ここで聞く若い人たちの秋田弁にはなにか違和感を感じる。お国言葉が聞こえる場所の定番は・・・それは、文句なしに上野駅。 このごろは羽田が、昔の上野駅化していることに気付く。
さて、総括です。 故郷(ふるさと)というものは、歳をとるにしたがい、自分の気持ちの中で大きく膨らんでくるものですね。このたびの岡山の旅は、秋田と岡山という遠く離れたところにおいても、故郷という結びつきが大きく位置を占めるものだと感じました。 そして、その昔、オフコースのファンでいてくれた橋本さんが、いまのA.B.C.の活動をこのHPで知り、なんとかして自分の故郷(岡山県)に、私たちを呼べないものだろうか、と幾度となくメールをいただいたひとつの結果が、この旅に繋がりました。 彼女の純粋な思いと、どことなく男気を感じるメールでの文面に、「この人は本気だな」と、私は瞬時に感じ取りました。ふだんは普通の会社員として地道に生活していらっしゃる彼女ですが、このツアーが決定するまで、自分の範疇を超えた現地制作の仕事を引き受けてくれ、それを見事に果たしてくれました。本当に感謝の一言です。 さあ、これからが本番です。そんな彼女の熱い思いと、今回のこの山陽ツアーに名乗りを挙げて下さった三会場の主催者の皆さんの期待に応えるべく、そして14年ぶりの岡山のファンの皆さんに向けて、精一杯こころを込めて、私たちはこのたびのライブをいたします。一緒に、楽しみましょうね!!!
OMA
追伸 10/18(月)の岡山“MO:GLA”でのライブに、エフエム岡山の牛嶋俊明さんのゲスト出演が決まりました。さてさてどんな話が飛び出すのか? 筋金入りのオフコース・ファンだったという彼とのジョイントは、果たしてどうなってしまうのか?彼のファンの方々、お楽しみに!!!
|
|
プロモーション日記(浪花編) 02/10/17
10月10日(木) 晴れ 前日のジョン・レノン・ミュージアムで行われた記念イベント“HAPPY BIRTHDAY JOHN”の疲れをものともせず、午前中の飛行機で大阪入りする。 出迎えには、今回の大阪ライブの現地マネージャー役をかって出てくれた大谷一途くんが来てくれている。彼は大阪で“BABAS”というアマチュアバンドのドラマーとして活躍中だが(http://www.geocities.co.jp/MusicStar-Vocal/1520)、本当はけっこう固い商売をしている。一昨年の秋田県峰浜村での音楽祭をご縁として親交が続き、今回はこうしてA.B.C.の大阪ライブ決定に際して心からのご尽力をいただいたのである。ホントにうれしい限りである。一途な男、大谷、やると言ったらやる男である。 さっそく取材が始まる。最初は、北区にあるスカイビジョン社。制作担当の石黒文絵さんは美人である。しかも久しぶりの大阪。一人A.B.C.プロモーションなので、他のメンバーを頼ることは出来ない。おのずと気合いが入る。 夕方からは、旧知の友人であるC氏の紹介でFM802を訪問する。ここには彼の実弟が働いており、このたびの大阪ライブの告知をお願いする。ここはなかなか活気がある局だ。いまの大阪の中心として突っ走っているステーションの意味が理解できる。 夜は、今回のライブの制作を担当してくださることになったビジュアル工房の浜口社長と合流し、「北の新地」に繰り出す。前を歩く浜口さん、どことなく岩城晃一に似ている。常宿だったホテルを間近に見て夕食をいただく。 これで終わるはずもない、熱くディープな大阪の夜はこうして更けてゆく・・・。 リポートは、ここまでにしておく。この日の締めは、肉うどん。旨かったー。
10月11日(金) 晴れ 午前中は、都島区に旧知の友人宅を訪ねる。約7年ぶりの再会となったが、まるで大阪のお笑い芸人の漫才そのままの泣き笑いの再会となった。 その足で住之江区のWTCコスモタワーにあるMUSIC JAPAN TVを訪問する。収録中、チーフプロデューサーの坂本奈穂子さんはテキパキと指示を出してくれ、とてもやりやすかった。 その後、このたびのライブ会場である心斎橋のBIGCATを訪れる。あの有名なアメリカ村の中心地にあるこの小屋は、おっきいぞ。しかも若いヤツだらけである。おいおい、どうしよう?OMAのオヤジは少し心配になってきた。まあ、例えて言うなら、渋谷のON AIR EASTって感じかなあ・・・。A.B.C.は“WEST”はやったけど、“EAST”はやってないぞ。こりゃ、がんばるしかないぞ。ホントにがんばるしかないぞ・・・。 そんな思いを胸に、夜は神戸の岩田さんのお誘いを受け、懐かしの神戸の焼き肉屋である“けいしゅう”に向かう。ああ、なつかしい。神戸の夜景、そして匂い・・・。 いまから7年前、松尾と“E.S.W.”とユニットをやっている頃、神戸にあるKISS-FMで番組を持っていた。その番組は1994年10月から始まったが、残念なことに翌年の震災に遭い、番組スポンサーさんもやはり大きな被害を受け、自然消滅したのだった。 当時、番組のディレクターをしてくれていたのが、現I.W.A.サウンドの岩田修一さんであった。神戸に行くと、決まって行ったところが長田区にある“焼肉けいしゅう”であった。その旨さったら・・・旨いのなんの!!! あれから7年経った今でも、おれの中では焼肉は、ここが全国で一番の評価であった。 なにしろ素材が違うのだ。 さてさて、久しぶりの“けいしゅう”は・・・やはり震災に遭われて、前のお店ではなく新しいお店になっていた。なかなか大変だったらしい。 そして、味の方は・・・文句なく旨い!旨すぎる!!凄すぎる!!!(画像参照) お店の大将とお逢いして少しだけお話をさせていただいた。こうして元気に再会できて本当にうれしく思った。元気でいてくれて本当によかった。11月のA.B.C.ライブの際の再会を約束して神戸を後にする。 後ろ髪を引かれる思いで、22:30p.m.ごろ大阪のホテルに着いたが、そこには約30年来の友人であるK氏が待っててくれた。さあ、ここからが本音トークの開始。彼とは二年ぶりの再会で、連れて行ってもらったお店でのセッションに花?が咲く。 パーカッション、デジタルドラムとけっこう遊んでしまった。 この日の〆(締め)は、お好み焼き。これまた旨かったー。
総括です。 今回の大阪プロモーション、ホントは大阪出身の仁さんと一緒に行きたかったけれど、いろいろな諸事情もあり、寂しかったけれど一人で行きました。 いろいろな新しい出逢い、そして旧知の友たちとの再会がありました。 大阪は、「生きる」「食べる」ということには、貪欲な土地柄です。ところかまわず、なりふりかまわず、自分の目標のためには手段を選ばす・・・というところは多々感じます。ところが、おれは、そんな大阪が嫌いではありません。 ひとつの自分のイメージが出来たら、とことんがんばる!という大阪人のひたむきさは、ある意味ではえげつなく見えるかもしれませんが、おれは嫌いではありません。 むしろ、好きです。おれの若いころは、そんな感じだったことと思います。 今回の大阪の旅は、ここではすべて書き切れませんが、そんな大阪とのとても深い縁を感じた旅となりました。 さあ、来る11月22日のA.B.C.大阪BIGCATライブを、どうかお楽しみに! いつもとはまた違ったA.B.C.の一面が見られるかもしれません。
大谷くんが作ってくれた、ABC-LIVE@大阪のHPです。 どうかご覧ください。応援宜しく。
OMA
|
|
初秋のみちのく路 02/09/25
10日間のABC-LIVE 2002 北東北ツアーが無事終わりました。 一夜明けて、9月24日の午前中に横手IC手前でメンバー車と別れました。 なかなか寂しいものがありました。 彼らの車が去った後、横手地方はまるで時間合わせのように雨が降り出しました。 そう、まっちゅー松尾さま(松尾大社はお酒の神様なのだそうです!)が帰られたからです。前日も雨の予報でしたが、松尾さまが館の井・沼館酒造に入られてからはなんとか晴れ間が出てきました。凄いですね、松尾さまの威力は!!!
まずは、一連のライブに来て頂いた方々に感謝いたします。ありがとうございました。 そして、現地での主催者及びプロデュースをして頂いた方々と、スタッフのみなさんに深く感謝いたします。お疲れさまでした。 久しぶりに10日間という長いツアーに出ましたが、なかなか楽しい旅となりましたし、人の情というか、あたたかさにふれた旅でもありました。 今回、私は愛車の4WDで1,300キロ強走りました。城間車はたぶん2,500キロは楽に走っていると思います。年がいもなく、こんなハードなツアーを敢行していますが、身体はしんどくてもその心は沸々と熱いものが沸き上がってきました。 岩手県の久慈から始まったツアーでしたが、回を重ねるにしたがって音量も音圧もアップしてきました。はっきり言って本編のラストなどは叩きまくっております。ずっと封印していた昔の自分の音を思い出しました。もう、大丈夫です。これからはガシガシと叩きますとも!!! そんな熱いものがこみ上げてきました。 年がいもなく・・・と笑わないでくださいね。
今回の10日間の旅は、海の幸&山の幸満載の久慈→癒しの南郷・JAZZの館→青森・クオーターといい感じで進んできました。 少し疲れが出始めた青森での打ち上げで、ストーンズのパリ・ライブVTRを観てから、なんか熱いものがこみ上げてきました。 たぶん、お店の方がおれたちのために・・・とセットアップしてくれたのだと思いますが、なかなかナイス!なセレクトをしていただきました。 『あのオヤジたち、あんな年までしっかりロックしやがって・・・ちきしょう!!!』 と、あらためて彼らの凄さと、ブルースというルーツを持っているバンドのかっこよさにしびれ、無性に心の中の「なにか」がむずむずと動き出しました。 その後、秋田に入ってからは、私の故郷の小坂町に二泊したのち、大館・北秋くらぶ→能代・喜久水酒造とだんだんスイッチが入り出しました。
それでは、恒例の各地での一言リポートです。 前乗りをして豪華な夕食をいただいた久慈ですが・・・初めての土地で、あれだけのお客さんに来ていただき感謝しております。A.B.C.のビュッフェ&ライブですが、このスタイルは今後しっかりと定着しそうです。なかなかいい感じの久慈ライブでした。今度は市内観光もしてみたいと思います。つっちーがモテモテでした! 癒しの里、南郷・・・ホントにここは落ち着きますね。好きです、南郷JAZZの館。 アンコールでは、昨年に引き続き“MAC TAC SPECIAL”のメンバーが登場!そして、彼らのお友達で八戸市在住のアマチュア女性ドラマーであるchiezouくんが、なんとドラムセットに座りました。もちろん叩きました。ナイスなリズムでchiezouくんは見事に“TWIST AND SHOUT”をプレイしてくれました。とてもキュートでしたよ! 14年ぶりの青森は、クオーターでのライブ・・・ライブハウスはなんか燃えてきますね。開演前は、ラーメンを食べ、近くの埠頭に行ってきました。「♪ごらん、あれが竜飛岬〜津軽海峡〜♪」。そう、あそこにいると、そんなフレーズが出てきますね。今度は弘前と八戸にも行きたいですね。 秋田に入ってからは、「旨し酒&食の旅」と銘打ち三連チャンのライブでした。 その前に、2日間、私の生まれ故郷である小坂町におり、少しだけ観光と温泉なども楽しみました。明治の芝居小屋である康楽館はなかなかの趣がありました。 さて、秋田シリーズ第一日目は大館・北秋くらぶ・・・ここの松の舞台では靴を履かず、靴下でのライブ。懐石をメインとした和風ディナーライブはなかなか風情がありました。この感じも今後ありだなあと思いました。 2日目は、能代・喜久水酒造での仕込み蔵ライブ・・・松尾の通っていた能代高校の話など、まっちゅー先生はテレながら爆笑トークを繰りひろげておりました。いい音してましたね、この蔵も。お約束の10万円のお酒もしっかりといただきました。 3日目、そしてこのツアーの千秋楽は、雄物川町の館の井・沼館酒造の酒蔵ライブ・・・ホントにいい音してました、この蔵は。最終日ということで気持ちも入りました。 会場設定など細やかなな配慮がとても良い上品な雰囲気を醸しだしておりましたね。 打ち上げでは金賞受賞酒もいただきました。おめでとうございました! 最終日はお馴染みの顔ぶれが揃い気持ちが和みました。盛岡でお世話になった遠野の打越さん、久慈のプロデュースをしてくれた田子内くん始め、遠方より続々とツアーの千秋楽のライブに駆け付けてくれました。 こんな素晴らしい人たちに囲まれて、A.B.C.は本当に幸せだと思いました。 北東北では、私が居るということで、ある程度下地もできており、いろいろな趣向を凝らしたライブを行っています。今回の酒蔵ライブやお座敷ライブなどは、東京方面のファンの方にはいまいちピンと来ないかもしれませんが、ワンドリンク付きのライブとは違い、とことんお酒と料理を楽しみながらライブを楽しむというビュッフェ&ライブ的な要素は、今後の私たちには合っていると思います。 どうか、これを契機に全国各地で、このようなスタイルでやってみたいと思っていますので、お酒にご縁がある方々のご連絡をお待ちしております!!!
最後に、ライブに来ていただいた皆様、その中には関東近郊より3日間とか2日間にわたり仕事を工面して参加していただいた方までおりました。わざわざ遠いところまで足を運んでいただきまして本当にありがとうございました。 A.B.C.はまだまだ進化中です。どうか皆様と、またどこかでお逢いできますように!
OMA
P.S. I LOVE RAMEN 今回のご当地ラーメン紀行は以下の通りです。
|
|
Before→After 02/09/11
■貴乃花のAfter.................。 横綱・貴乃花が八場所ぶりに大相撲秋場所の土俵に上がった。 膝の故障がたぶん完治しておらず、それにも増して横綱審議委員会の先生たちの喝と世論に背中を思いっきり叩かれての見切り発車の様相を呈した出場だったに違いない。 注目の初日の相撲だが、高見盛を無事破るやいなや、満場一致の大拍手と大歓声が起こった。近頃こんな盛り上がった場所と取り組みは珍しい。
■貴乃花のBefore..............。 いまから11年前の平成三年、時の大横綱・千代の富士を破った貴花田の一番を、おれはこの眼でしっかりと見ていた。当時の千代の富士ファンのおれとしても、それは惚れ惚れするような相撲だった。それはそれは、気迫溢れるすばらしい相撲だった。 勢い、精気、気迫、筋肉の張り、身体のつや、父親譲りの強靱な足腰、天性の相撲勘、眼光の鋭さなど、どれをとってもいまが旬の高い山を登る旭日の勢いがあった若武者の相撲だった。
それから11年の月日が経った、平成14年の秋場所の国技館。 彼は、優勝回数22回の大横綱になった。だが、怪我のため1年以上も土俵から離れていた。誰もが違う意味で、彼の一挙手一投足を見守っていた。 そして、ついに土俵に立った。もはや身体も往時の張りはなく、筋肉は衰えを見せている。故障した足も痛々しいほどだ。復帰した大一番は、哀愁すら感じた。 山を登った者だけが持っている黄昏の瞬間。なんとも言い難いことなのだが、山を下り降りるものの負の美学とでも言えばいいのだろうか。なぜかそれを感じた。 だが、彼の相撲に、久しぶりにこころが熱くなった。
スキャンダラスな話題を提供し続けた彼の親たち。芸能人顔負けの交際遍歴。有名女優との婚約破棄。年上のフジテレビアナウンサーとの結婚。 この間、彼の尊敬する父でもある親方夫妻は離婚し、母は公に手記を出す。自身も迷いの道を歩むように生き方への模索をし続けているように思えた。 お兄ちゃんと呼びこころから慕った兄、若乃花こと花田勝は相撲界を廃業し、新たなスポーツの道を模索している。 相撲界の寵児として話題を集めてきたプリンスの去就に誰も興味を示さなくなった。 見慣れた大入り満員の垂れ幕も下がらなくなる日が続いた。この現実に、さすがの日本相撲協会も弱り果てていたに違いない。
■Before...........After..........去る者の美学。 なにもかもが変わった。そして、誰もいなくなっては、いない、のだ。 去る者がいれば、新たに道を進む者が出てくる。 山を登れば、誰もが頂上を目指す。頂上を極めたら、あとは降りるだけ。そのスピードが速いか、遅いか、だけなのだ。頂上を極めた者の後ろには、いまかいまかと、次の頂上征服者たちが列をなして待っているのだ。 相撲界では、モンゴル出身の朝青龍が新大関になり、人気を集めていた。 あの頃とは土俵を沸かせる顔ぶれが、大きく変わっていた。
スポーツ選手と違い、歌手や役者、アーティストは死ぬまで現役だ。引退はない。 先日の札幌ライブのあとに、小樽の石原裕次郎記念館を訪れて、そう思った。 裕次郎さんは病院のベッドでもスターだった。これがスターの宿命だ。その肩の荷を下ろす時は、身に纏った豪華絢爛の鎧を脱ぐときは、文字通り、死の瞬間・・・その時だけなのだ。 大好きな美空ひばりさんもそうだった。病魔に冒されて、足が動かなくても、例え全身冷や汗だらけで幕間に溜息をついても、一度幕が上がると、笑顔で笑い、歌っていた。だが、いずれはやってくる山を下り終える瞬間・・・。
第65代横綱、貴乃花光司。185cm 159kg。優勝22回。 9月11日現在、通算成績416勝93敗 185休。
貴乃花の、そんな瞬間を見届けたいと、ふとその時に思った。 それまで、精一杯頑張って欲しい、と思った。 悔いなく、がんばっていれば、次に必ずつながる。 そう、信じながら・・・。
OMA
|
|
夏のツアーの総決算 02/09/10
A.B.C.夏のツアーが終わりました。 行く先々での会場では、あたたかい観客の皆さんに助けられ、無事7ヶ所11公演が終了しました。 今回は秋田市を除いては、A.B.C.としてはすべて初めての土地でのライブでした。 それでは、それぞれの感想を一言づつ書いていきますね。
夏真っ盛りの米どころ大潟村には冷酒が似合う・・・サンルーラル大潟のこのイベントにはホテル側と共に企画の当初から加わっていたので、初日を飾ったこのディナーライブは、なかなか当たりの企画だと一人にんまりしていました。ゲストのぶんちゃんの朗読も良かったです。またどこかでやろうと思っています。
不思議なオーラがある藤沢町・・・この町には一年に一回は来ています。人といい、自然といい、いつもなにかをいただきに行っているように思います。台風による災害で開催が困難な中、J−スタッフの皆さんにはホントにがんばっていただきました。 i love 藤沢・・・いつも宿泊するファミリーオいわて藤沢から眺める景色は、素晴らしいの一言です。まるでいまにもUFOが飛来してきそうな感じ・・・仁さんは窓を開けっ放しにしてしまい、UFOならぬ虫の大群に困り果てていましたが・・・部屋のあちこちに転がっていたクワガタ、カブトムシたちも、つっちーにはお宝には見えないようでした。つっちーは虫が大嫌いだということが判明!!!
野外の風がとても気持ち良かった新庄のイベント・・・中高年のお客さんが多かったけれど、おばあちゃんたちもたくさん手拍子などをしてくれ、楽しそうに聴いてくれていました。隣のブースでは24時間テレビの生中継もやっていました。しかし、あのチャリティ番組はいつから芸能人が100キロ走るのが定番になったんだろう? まっ、いいか。山形のファンの方々、また行きますね。今度はフルバージョンでやりたいですね。
湯沢は風情がある町でした・・・秋田に居ても昔はなかなか県南には行かなかったのですが、交通網の整備とFMゆーとぴあが出来たおかげで、この町がホントに近くなりました。コンパクトにまとまったなかなか素敵な町です。この地方特有の女性の方言が好きですね。例えば、「そうだよ」が「んだべった」となるのですが、若い女性がこの言葉を使うと、なんか可愛らしいのです。ラーメンも大いに食しましたし、ライブは大盛り上がりでした。おひねり(お花)まで出ました。やっぱり秋田はラテン系?
踊り出すおばさま軍団がおられた秋田市のディナーショー・・・フランス料理をお箸で食す、という趣のあるアキタニューグランドホテルのディナーショーでしたが、序盤からMCの一言一言に反応するおばさま軍団が、最前列に居られました。こりゃ、なんかあるな、と思っていたら、後半になりスローな曲はチークダンスを、早いロックンロールは社交ダンスさながら軽快に踊るわ、踊るわ、踊り(オードリー)ヘップバーン。。。。。という感じで場を一手に盛り上げていただきました。昨年の大分・日田で演歌のリクエストをいただいた時と同じくらいインパクトがあった秋田市でのライブとなりました。
おしとやかな盛岡でしたが・・・皆さん、楽しんでいただいたようです。盛岡は昔からライブは静かでした。東北の中でも会津と並んで教育が盛んな土地柄です。歴代の総理も輩出している誇り高い南部の土地。お国言葉もどこかおとなしいというか、柔らかい趣をかもしだしています。今回はしかとオフコース解散後のA.B.C.を品定めされているようにも思いました。遠野のGAKUさんを筆頭にABCコミュニティ@盛岡の皆さんのご尽力のおかげで、ライブは大成功に終わりました。皆さんの心からの働きに感謝、感謝でした。翌日は単独で秋田・峰浜村でのイベントでした。朝の3時まで飲み、根性で5時30分起きし、東北道を北上しました。名残惜しかったなあ・・・。
北の街、札幌ではよく食べました・・・夏のツアーのラストは札幌でした。気合いが入りましたし、この地にA.B.C.のなにか新しい痕跡を残さなければ、という思いがありました。結果的にはいい意味での種蒔きがたくさんできたと思っています。昔からのご縁がある方々との再会もたくさんありました。このたびのプロデューサーを務めてくれた石川くんにあらためて感謝いたします。そして、ぽここさん、さちよさんたちのABCコミュニティ@札幌のお二人とのご縁にも感謝いたします。ライブ終了後の翌日、みんなで小樽観光に行き、運河を歩き、ラーメンとお寿司を食し、海にも行きました。その後は、小樽に来たらやっぱりここでしょう、石原裕次郎記念館です。 日本の芸能界に燦然と輝くスターの痕跡をしかと感じてきました。仁さんがこんな感想を洩らしていました。「この人は生まれながらにシード権を持って生まれてきているんやなー」と・・・。その夜は、札幌ビール園でA.B.C.ご一行様は、夏のツアーの締めをしっかりと打ち上がったのでした。
ラーメン好きな私としては、やっぱりご当地ラーメンが楽しみでした。 今回の制覇はこんな感じでした。
こうして書いて見ると、けっこう食べてますね・・・(笑)。 これでスープまで飲んで完食した日にゃー、「おデブ&痛風への花道」ですね。 ツアーに出ると、実は太るんです。やばいです。気をつけなくちゃね。
いまのA.B.C.はこうして中年世代のライブの旅をこころから楽しんでおります。 どうか、秋のツアー・・・北東北のいまが旬!旨し酒と食が満載のツアーですが、お時間がある方は私たちと一緒に、みちのく路の旅を、そしてライブを楽しんでいただきたいと思います。
OMA
|
|
初日の打ち上げ 02/08/01
“A.B.C.夏のツアー”.........初日のサンルーラル大潟での、ライブ同様盛り上がった打ち上げの写真を南部美人・製造部長の久慈浩介さんが送ってきてくれました。 左の一枚は、久慈浩介さんを囲んで、平沢喜一郎さん(喜久水酒造)、今回のお酒のコーディネーターの鈴木秀則さん、石川文子さん、A.B.C.の3人です。
右の写真は、亀の井酒造の今井俊治専務を囲んで、平沢喜一郎さん、鈴木秀則さん、八嶋支配人(サンルーラル大潟)、石川文子さん、A.B.C.の5人です。 久慈浩介さんは、たいへんに筆まめな方で、小文ですが、毎日自社のホームページを写真付きで更新しているのです。これは、お見事!
《OMAのツアーリポート/サンルーラル大潟編》
仁さんは、少し疲れていたけど、元気です。きれいなシルバーグレイのヘアーになりました。前日は、夕食後早々と部屋に帰りましたが、当日夜はなんと3:30a.m.までおれの部屋で、まっちゅーさんを含めて話し込みました。いつも真剣にA.B.C.の今後のことを考えているリーダーです。
まっちゅーさんは、相変わらずマイペースです。今回は珍しく朝食のバイキングに来ていました。ちなみに彼は、朝食はほとんど摂らない人ですが、サンルーラル大潟の豪華な朝食に惹かれたのかもしれません。
城間さんは、いつものように静かに食べて、飲んでいました。渋い人です。
つっちーも、元気です。ぶんちゃんの朗読コーナーでは、とても雰囲気のあるピアノを弾いてくれました。朝食では、いきなりトースト三枚とソーセージを12本、ボールトマトを10固・・・これが洋食の部。それが終わると、今度はしっかりと和食も一揃い平らげていました。相変わらず、凄い食欲です。ホントに燃費が悪いつっちーです(つまり、よく、油を喰います!!!)。でも、食べるのが元気の素。 よく食べ、よく飲み、よく笑う・・・やはり、これがツアーの基本です。
そして、OMAです。そう、おれの黒のTシャツにご注目!今回、A.B.C.は、始めてツアーTシャツを作りました。何年ぶりだろう、ツアーTシャツを着るのは・・・。 うーん、やっぱりツアーをやっているという実感がわきますね。 さて、今週は、いわて藤沢町に行きます。次回のツアーリポートをお楽しみに。
OMA
|
|
暑中お見舞い申し上げます 02/07/29
暑中お見舞い申し上げます。 昨日より、“A.B.C.夏のツアー”がスタートしました。 初日を飾ったのが、秋田県大潟村・サンルーラル大潟でのディナーライブでした。 『美人なお酒とピーチメルバなビートルズ』のタイトル通り、お酒とお料理のマッチングが良く、とても評判でした。もちろん、A.B.C.の音楽も・・・(笑)。 まずはお酒ですが、“美人”というアイテムで、あらかじめ全国から選定した入魂の日本酒五品目と、当日は新たに2年連続でモンドセレクション金賞受賞酒の2品目が加わり、とても豪華なものでした。 一方、料理の方は、フジTV“料理の鉄人”にも出場した経験がある同ホテルの牧尾勲総料理長(フレンチの鉄人・酒井シェフとは幼馴染みで、鹿児島の中学時代まで同級生だったそうです!)の作るフルディナーを、参加された皆さんは満喫しておられました。 その後のA.B.C.ライブタイムも、今回はいろいろなスタイルでビートルズを披露して、おかげさまで約330名の皆さんに楽しんでいただき、初日から大盛況のライブが出来ました。来ていただいた皆さん、本当にありがとうございました。
お楽しみの打ち上げは、大潟村の黒瀬喜多村長を囲んで、同ホテルの畠山総支配人、八嶋支配人、牧尾総料理長やスタッフの皆さんと共に一献傾けながら、イベントの大成功を祝うことができました。 その席上、今回の出品酒の中で、“純米吟醸辛口・くどき上手”の蔵元である山形県羽黒町・亀の井酒造の今井俊治専務と、“南部美人・純米吟醸 生”の蔵元である岩手県二戸市・南部美人の久慈浩介製造部長のお二人が自ら参加されており、少しの間でしたがお話をさせていただきました。 特に、南部美人・次期当主の久慈浩介さん。若さ溢れる情熱家で、声が大きく、明るくて元気な青年蔵元の今後の動向が、とても楽しみに思えました。 秋田にも能代・喜久水酒造の平沢喜一郎さんや、雄物川町・沼館酒造の小柳(おやぎ)秀雄さんといった若き後継者がおります。喜一郎さんも当日は、もちろん参加してくれておりましたし、この9月には、このお二人の蔵元の仕込み蔵でのA.B.C.ライブの開催も決定しております。 古い体質が残る日本酒業界において、発泡酒&焼酎しか飲まないような若い世代へのアプローチは、各蔵元・後継者たちの今後の重大な命題のひとつと言えます。各々の若き蔵元さんのユニークな手腕を期待しております。 早くも久慈浩介さんが、昨日の模様をご自分のHPでアップしてくれました。 ごらんください。
これから、いわて藤沢のクリニックとライブ、やまがた新庄はイベント、秋田のホテルでは2都市3公演のディナーライブ、そして、盛岡のホテルでは2DAYSのビュッフェスタイルのライブをしていきます。 夏のツアーの最終日は、14年ぶりの待ちに待った札幌ライブ。およそ1ヶ月にわたるツアーの最後を熱く飾ります。美味しいビールとジンギスカンで、少しダイエットして、スリムになった自分の体重がリバウンドしないことを祈ります。 とにかく、メンバー一同体調を整えて、がんばっていきたいと思っています。 なにしろ平均年齢が高いもので、故障者リストに登録されないよう各自、体調管理を徹底していきたいと思っています。 どうぞお近くの方は、ぜひA.B.C.のライブに気軽にいらしてください!
本サイトBBSでの、“まるまるさん”の書き込みにあったように、昨日はビートルズの歌詞を朗読してからの本編演奏といった、初の試みを2曲ほど披露させていただきました。 情感たっぷりの朗読をしてくれたのは、エフエム秋田の私の番組でお馴染みの“ぶんちゃん”こと石川文子さん。当日は真夏のイベントということで、浴衣姿で登場したぶんちゃん・・・とてもとてもキュートな出で立ちで、私のパーカッションである“カホン”にちょこんと座り、琴線に触れる美しいお声での語りは、それはそれは素晴らしいものでした。 これは、くせになりそうです。いつか機会があったら、ぜひ東京でもという声も聞かれました。
そして、岩手のみなさんには、うれしいお知らせです。 8/5(月)、TVIテレビ岩手の夕方の情報番組「ごきげんテレビ 」への、A.B.C.の生出演が決定しました。8/23,24の盛岡公演へ賭ける思いをトークします。 もしかして、スタジオライブなんて話も出ていますが、どうなりますやら。 お楽しみに!
最後に、“BOOKINGコーナー”を新設してから、うれしいことに全国のいろいろな方々から、ライブのお誘いをいただいております。 その中で、まずは一番先に決まったのが、今回の沖縄ライブです。 このライブを企画してくれたのは、沖縄県の中でも、特に音楽が盛んな場所として有名な、具志川市内でライブハウスを経営されている“LIVE CAFE BOHEMIA”の堀川光春さんです。このたびの決定、本当にありがとうございました。 オフコース時代から数えて、これもまた14年ぶりの3人での沖縄公演になりますが、メンバー一同今からとても楽しみにしております。A.B.C.メンバーの周辺でも何やら自費参加のツアー希望者が増えそうです。10月でも、まだまだ沖縄はマリンスポーツが楽しめるそうです。沖縄大好きの仁さんもとても楽しみにしているそうです。
この他に、10月にはジョン・レノン追悼イベントへの出演が決定しました。 11月には、秋の山陽路・岡山3ヵ所を巡る“A.B.C.山陽ツアー”の開催が、ほぼ決まりました。これに合わせて、大阪を含めた関西ツアーも計画中です。 これに繋げて、名古屋か北陸、あるいは福岡へと移動していくツアーもありかな、と思ったりしています。岡山と関西近辺にお住まいの方は、詳細のアップをお楽しみに!
『わが街にも、A.B.C.のメンバーを呼びたい・・・』........................... そんな一人の方の想いが、“ライブ”という形になって実を結ぶことが出来る現実に、メンバーの一人として心から感謝いたします。
それでは、夏風邪に気をつけて、ライブがんばります!!!
OMA
|
|
夏のツアー 02/07/15
今回は日記形式で書いてみます。
=7月12日= 今日は、エフエム秋田の番組の放送日。 今夜は、いま若いアーティストたちが往年の名曲をカバーしている特集をした。
♪ 島谷ひとみ/亜麻色の髪の乙女(ヴィレッジ・シンガース) ♪ 椎名林檎/木綿のハンカチーフ(太田裕美) ♪ 福山雅治/勝手にしやがれ(沢田研二) ♪ 福山雅治/タイムマシンにお願い(サディスティック・ミカ・バンド)
などのカバー曲をオンエアーした。 椎名林檎の歌い方があまりにも荒井由実時代のユーミンに似ていて、なんかおもしろかった。福山君のアルバムは、自身のテレビ番組とリンクしているのだが、個人的には彼のキーや音程の高低差の加減で選んだのか、寺尾聡の「ルビーの指輪」は、かなりビンゴ!だと思った。 番組終わりで、相方の石川文子嬢とゲストの笠原吉範氏(峰浜村ポンポコ山音楽祭イベント実行委員/梨農園経営)と共に行きつけのラーメン屋である「えびや」に行き、いつもの醤油を食す。やはり旨い。ここは一週間に一度は通っている。
今年の台風はけっこう凄い。まだ梅雨明け宣言もしていないのに、こんなに大きなヤツが来る。知り合いの音響制作をしている岩手県釜石市のKさんのお店では、なんと膝まで水が入って来たという。 我が家の近くを流れる雄物川も、日本海に注ぐ河口付近は、水嵩も増してまさに茶色の泥流のようである。上流から流れてきた流木なども浮かんでいて、なにか恐ろしい光景であった。
=7月13日= 自分が昨年からサウンドプロデュースをしている「峰浜村ポンポコ山音楽祭」に応募してくれたアマチュアバンドの最終選考を集中して行う。 今年はイベント実行委員たちも選考に苦労したそうである。それもそのはず、今年の応募は33組だったが、内訳は秋田県内25件、県外8件。その中には、バンク、ヘビメタ、ポップス、ガールズバンド、秋田弁のフォーク、アコギのインスト、打ち込みのユニット、ベンチャーズコピー、カントリー&ウェスタン、演歌といったバラエティに富んだ応募の数々。 そして、オフコースのコピーバンドの応募もしっかりと来ていた。たぶん、このホームページを見て応募してくれたのだろう。ありがとうね、福岡の「M」と神奈川の「T.H.B.」の皆さん!しっかりと聴かせていだきました。 今年の選考は、応募バンドたちのレベルが高く、たいへんに難儀なものになった。 昨年よりレベルアップは明らかである。選考委員長としての役目はとても大変だが、おれは彼らの録音したものを聴きながら、選んでいる瞬間が、実は大好きなのである。 イベント実行委員の皆さんの得票を参考にしながら厳正な審査の結果、最終選考に残ったのは12組。この中から最終的に、6組に絞っていく作業にはホントに骨が折れた。 正式発表は、いましばらくお待ち願いたい。 ともあれ、峰浜村の音楽祭は今年も実力派揃いのアマチュアバンドのライブになることと思う。 惜しくも選考に漏れたバンドは、ぜひとも来年を目指してがんばっていただきたい。
=7月14日= いよいよ、A.B.C.夏の東北&北海道ツアーが目前である。 7都市9公演のスタートとなるのが、秋田県大潟村・サンルーラル大潟というホテルでのディナーライブである。 かつては日本で2番目に大きい湖であった八郎潟を干拓して出来た大潟村。その当時の未来志向の米農家のモデル村として、国の大きな期待を担って誕生したのだった。 その面積は、15,640ha。東京山手線内側の約3倍の広大な田園地帯である。温泉付きの滞在型ホテルとして人気を集めているのが、サンルーラル大潟である。 今回は、お酒とからめたディナーショーとして、『サンルーラル大潟・日本酒企画第2弾〜美人なお酒とピーチメルバなビートルズ』という可愛いタイトルがついている。 ホテル側が厳選を重ねて出品する日本酒は、全国の蔵元から“美人”というアイテムで選び出した、なかなかの銘酒勢揃いである。 そんな中、先日エフエム秋田の当番組に、サンルーラル大潟営業部の国本綾子さんが出品酒リストの中のひとつを持ってきてくれた。 それが、滋賀県上原酒造の純米吟醸「クレオパトラのわすれもの」である。 さっそくトークの最中に少しいただいたのだが、「えっ、これって・・・・・本当に日本酒? まじっすか、国本さん?」・・・・・。 相方の石川文子嬢共々、ホントにびっくりした。甘酸っぱく爽やかな飲み口は、どう考えても限りなくワインに近いものだった。 この他、岩手県二戸市の蔵元である「南部美人・純米吟醸(生)」や山形県羽黒町・亀の井酒造の「純米吟醸辛口 くどき上手」など、ふだんお目にかかれないような優れたお酒が出品されるのであるから、酒好きには堪らないイベントである。 さて、A.B.C.はそんなお酒とマッチングできるような“美人”のビートルズナンバーをリストアップして、軽やかに艶やかに演奏しなければなるまい。 正直な話、ホントは、お客で行きたいところだが・・・・・・・がんばります。 さあ、夏のツアーが始まるぞ。
サンルーラル大潟URL http://www.ogata.or.jp/sr/
=7月15日= 大雨と風の中、自分の審査の結果を持って峰浜村に打ち合わせに行く。 東北の中の小さな音楽祭であるが、しっかりとしたいいものを作り上げたいと思っている。夏の終わりには、このポンポコ山の野外ステージが熱気に包まれるであろう。
また、台風が来ている。皆さん、気をつけてください。
OMA
|
|
あれから時は過ぎて 02/07/03
FIFAワールドカップ韓国/日本大会が終った。優勝はブラジルだった。 さすがのカーンの鉄壁の守りもロナウドの2発には屈した形になった。 ブラジルは尻上がりに調子をあげてきた。素晴らしかった。 一方、三位決定戦である韓国VSトルコ戦は、健闘及ばず韓国は四位に終わった。 でも、凄い結果だと思う。 大会出場2度目ながらベスト16まで勝ち進んだ我がニッポンの大躍進。選手たちの自信に満ちた笑顔・・・そして、トルシエの涙。 そして、共催国としてベスト4まで勝ち残った韓国のガッツ溢れるプレーと応援。 前回の王者フランスのまさかの1回戦敗退や、アルゼンチンなど優勝国が次々と敗れるという大波乱や各会場で空席が目立ったチケット問題。 審判のジャッジによる敗北とそれに対する猛抗議をする国々。それが選手の解雇問題まで発展しかねない感情の高ぶりを見せるオーナー。そして、最後は個人技と組織プレーの応酬だった決勝戦。この大会は、本当にいろいろと楽しませてくれた。 終わってみると、なにか寂しいものである。期間中、惜しくも会場に足を運ぶことはできなかったが、選手やプレイを通じて感じたことは多かった。
決勝戦が行われた日は、6月30日。 その日の20年前、おれたちは日本武道館にいた。 あの時、おれは28歳。松尾は誕生日前だったので27歳。仁さんは31歳。いまのニッポン代表の中では中堅どころの年代だ。 いまの選手たちのなんと大人びていること・・・あの時、おれはホントにガキだったなあと思う。これだけマスコミにも注目されて、一戦一戦がテレビ中継されている。 彼らの一挙手一投足に世界の注目が集まっている。日本においても何百万人の人たちが見ているのだろうか。 そんなプレッシャーもある中で、世界という大舞台でクールに堂々とプレーする若き選手たち。22歳の小野や稲本、市川あたりの選手たちは、おそらくこの先二回のW杯を経験するに違いない。 25歳の中田の落ち着いた姿には風格さえうかがえる。イタリアのプロリーグでプレイする彼は、したたかさも含めてこの四年間で大きな成長を遂げたと思う。
あの日を境にして、おれたちのバンドはひとつの終わりを遂げた。 晴れの舞台が終わり、6年間志を共にしてきたひとつのチームが解散した。 あの前後に言った、仁さんの言葉はいまでも忘れられない。
バンドが売れ出してファンに騒がれ始めたころから、彼は二人っきりになると、よくそんなことを口にした。行きつけのお好み焼き屋で、またはその当時よく通っていた 中野のサウナで、まるで有頂天になりそうな(実はアホなおれを諭すため?)おれの心を見透かしているかのように、ぼそっとそんな言葉を発するのだった。 当時は、また意味ありげなことを言っちゃって・・・ぐらいに思っていた。 そのころから、おれや松尾よりもはるかに大人びていた仁さん。周りには“百万ドルの笑顔の仁さん”という柔らかな印象を与えていたが、その実とてもクールに、したたかにバンドを見ていたと思う。もちろん人も、世の中のことも・・・。 実は、彼独特の直感や何気ない一言にも随分と助けられたものだった。これはおれ一人のことだけではない。嘘が通じない不思議な人でもあった。あんたはお釈迦様か? 顔だけ見てたら、なにやら目のあたりが・・・ふふふ。 そのころのバンドにとって、仁さんという存在は、サッカーに例えるなら最後の砦を守るGKか、それを支える屈強な名DFの役目だったと思う。 なにしろ本来であれば、GKの役目をしなければならないドラムのおれが、前線まで飛び出てしまうようなやんちゃなヤツだったので、おれたち四人は結局仁さんに守られていたという表現がぴったりだと思う。そのくらい仁さんという存在は、バンドにとって大きいものだった。 おれのことも、いつもはらはらしながら見守ってくれていたのだと思う。ひとつの言葉にすぐ反応してしまうおれに、いろいろと頭を悩ませて考えたあげく、それがあの言葉になったのだと解釈している。そんな仁さんの優しさと思いやり、20年も過ぎた今になってこうして感じているのである。 なにしろ、おれは若かった。そして、青臭くて、アホくさくて、異常に熱かった。 あのバンドがなくなったら自分の人生は終わり・・・とまで考えていた時期さえあった。そんなおれの強い思い入れを、ちゃんと受け止めてくれた人がいてくれたことに心から感謝をしたい。
バンドにも、一人一人ちゃんと役目があるものだ。 あのころのおれたちは、五人それぞれの絶妙な役割とコンビネーションで、どんどんと進化していった。1+1が5になり、10にもなっていった。 果たして、それから7年後、彼の言葉通り、最後は一人になっていた・・・。
OMA
追伸 ある方のひとつの書き込みで、このA.B.C.のサイトに集う方々にはこのたびはいろいろとご心配をかけてしまいました。 皆さんからたくさんのメールをいただきましたこと、あらためて感謝いたします。 彼が最初に言ったことは、それはそれで一理あると思いましたが、エフエム秋田云々の件は、ここで(ABC-BBS)書き込むものではないと思ったので少しだけ反応してしまいました。 彼も、何かを言いたくてこの場に来てくれたと思います。その気持ちは理解しようと思いますが、この自分の番組は常日頃一生懸命作っているだけに、言われる言葉ひとつに敏感にならざるをえないところがありました。もちろん、これからも番組に対するご意見、ご要望には誠意を持って対応していくつもりでおります。ただし、それには然るべきルートを通じて声を届けて欲しいと思います。
soundbox@fm-akita.co.jp 〒010-0973 エフエム秋田 “J'S SOUND BOX”
W杯のことも含めていろいろと余計なことを書きすぎました。それがノーテンキなオヤジに写ったのかもしれません。おれもまだまだだなあ・・・と、反省しております。 ということで、48歳にもなってもまだまだ青臭く、熱くなってしまうこんなおれですが、これからもよろしくお願いします。
ちなみに、仁さんの口からは、あれ以降あのような言葉は今のところ出ておりません。 さあ、モードチェンジ! もうすぐ夏のツアーが始まります。
|
|
勝負ヘアー 02/06/13
FIFAワールドカップ日韓大会が日本と韓国の共催で行われている最中である。 やはり自国開催は違う。どこもかしこもサッカーの話題。 幼稚園児からお年寄りまで、いまニッポン全国が熱い。
1988年、4年前のW杯フランス大会の時、おれはイギリスにいた。 それも歴史的な初出場の緒戦、日本VSアルゼンチン戦の最中、おれはMINI(伝統的な英国車。現在はローバー社が株を所有)のミーティングに参加していた。自身1974年以来の2度目のイギリス旅行である。 ミーティングが行われた敷地の中には、小川が流れ、古城があり、牧場があり、丘(あの国は山ではなく、丘なんだよね。それゆえの“The Fool On The Hill”だと初めて痛感した)があり、小さな湖まであるのではないかと思ったぐらいの広大な敷地を持つそのお方は、やはり貴族だった。伯爵位の方の資産は、日本の大金持ちとはレベルが違う。 その広い芝生の中では、のんびりとした時間が流れていた。緑の芝生には、赤のMINIがよく似合う。参加した人たちは家族連れで、思い思いのチューニングをした自分のMINIを誇らしげに見つめて、ゆったりとした時間を楽しんでいた。
さて、おれたちはというと、歴史に残るニッポン代表の緒戦を聴きたくて、そわそわしていた。レンタカーのカー・ラジオを同行した広告代理店勤務の佐藤貴士君と一緒に、必死でチューニングしながら、その歴史に残る一戦の実況中継を聴いた。
“Batistuta Goal!!!”...................... “Kawaguchi Fine Save!!!”..........
この連呼だけは聞き取れるのだが、後は何を言っているのかさっぱりわからない。 少しは英語に精通している佐藤君の通訳で、やがて負けたことを知る。 しかし、他国で聴く日本選手の名前。興奮したよね。あれだけ入れあげて応援したことはなかった。ホテルに帰ってテレビのダイジェストを期待していたら、あっさりと終わった。いまの日本のメディアのような取り上げ方ではなかった。 まあ、隣国のフランスでの開催だったしね。行きも帰りも日本航空での旅だったが、空港ではかなりの数の日本のサポーターたちと遭遇した。アメリカからロンドン経由で来たという学生とも話した。海外に行くと、やはり自国を応援したくなるんだよね。 日本に帰った後で、その試合のVTRを見たら、結果的には負けはしたが、それはそれは奇跡的な川口のファイン・セーブの連続だった。 あの優勝候補のアルゼンチンに対して、よくやったと思った。
このイギリスの旅は、秋田でMINI専門店を営むR.S.トガシ・富樫雅芳氏のご厚意によるものだった。富樫さん(通称・BOSS)は、毎年この時期にイギリス各地で行われているMINIのミーティングに参加しているのだが、その時おれたちは特別に同行させていただいた。 エフエム秋田の我が番組の大事なスポンサーの1人でもあるBOSSは、毎年この時期にイギリスに出向き、ビンテージものの部品や年代もののアンティーク家具を仕入れている。東北屈指のMINIショップとして、R.S.トガシには福島、岩手、青森のお客さんまでいる。BOSSの優しい人柄と優れた技術のおかげで、このおれもローバーMINIのオーナーになり、早や4年になる。いまのMINIは2台目。 メカのことに超弱いおれは、ホントのMINI好きから見ると半端なオーナーだが、BOSSのおかげで憧れの英国車、それもMINIに乗れて幸せなのである。
その旅行の際、おれの髪の毛が凄かった。実は、金髪だったのである。 若いね、OMAちゃん。気持ちだけはね。そう、勝負ヘアーだったのである。 現在のニッポン代表の中にMFの戸田という、なかなか渋い選手がいる。彼はこのW杯日韓大会の前に髪を赤く染めている。しかも、流行のソフトモヒカンである。 気持ちの前に、まずは髪を染めてテンションを高めようということだと思うが、彼のこの気持ちはよくわかる。 おれも大きなライブの前には、必ずヘアーカットに行っていた。昔から、いきなり超短髪にしたり、カーリーヘアーにしたり、ウルフカットにしたりしていて、おれの髪の変遷には定評がある。もちろん、恥ずかしい時代もあったが・・・。 髪は、気持ちを換える。髪で、見栄えは変わる。髪で、人が変わる。 そう、初めてのA.B.C.の銀座PH-1ライブの際、おれの髪は限りなく坊主に近いソフトモヒカンだった。周りからは、特に家族からは不評で、矢沢カットと揶揄されたが、後でVTRを観ると、さすがにあの時だけは短すぎたと反省した。
勝負ヘアーの金髪は、いつも行くカットハウスの店長(代表)にそそのかされたものだった。おれが、「金髪よりも、シルバーになるんだったらやってもいいかあ」と答えた一言で、彼がマジに反応してしまった。遊び心旺盛な彼曰く・・・。 「じゃ、それなら二回脱色すれば大丈夫ですよ。ちょっと痛いけど我慢できますよ。大間さん、やりましょう。シルバー、絶対に似合いますよ」と、44歳のおれにけしかけた男の名前は、原田昇さん。秋田市内で“レーシング”というお店を経営している。 「それじゃ、やろうか・・・」と、おれ。 結局、脱色を2回した。やはり頭皮が痛かった。特に2回目はジンジンしていたが、まだシルバーではないと言う。 「じゃ、あと1回だけやりましょう。我慢出来ますか?」と、彼。 「よし、がんばるよ」と、おれ。 やがて、3回目に挑戦した。 だが、頭皮の我慢の限界が来た。しびれるくらいに痛かった。 やったことがある人は、あの痛さはわかると思う。さすがのおれも3回目の途中で、ついにギブアップ宣言をした。その結果が、金髪になった。 完璧な不良中年の図である。近所を歩くのが恥ずかしかった。
実はその勝負ヘアー・・・ホントは何のためにやったかというと、これがおもしろい。 今だから言うが、その頃、某有名バンドの再々結成ライブのサポートの話が来ていたのだ。しかも松尾と一緒に。おれたちの憧れのバンドだった。やるもやらないも、二つ返事でOKを出した。 四谷のスタジオに秋田から出向いて、顔合わせとミーティングも行った。その夜は、メンバーのお二人とも親しく飲ませていただいた・・・。 ・・・しかし・・・。 残念なことに、元メンバーの1人の借金問題が発覚し、公演は2週間前に突然キャンセルになった。とても残念だった。あの人との夢の共演の話が流れた。 日々個人のリハーサルに精を出し、金髪の勝負ヘアーにして、テンションを上げていた矢先のことだった。 スケジュールが空いた。BOSSに相談した。 「じゃ、一緒にイギリスに行くか?」と、BOSS。 「えっ、いいんですか?」と。おれ。 「いいよ、おれが先に行ってだいたいの仕事を片づけているから、その後に来ればいいよ。ヒースロー空港に迎えに行ってあげるから」と、BOSS。 こうして、W杯フランス大会真っ盛りの頃、勝負ヘアーのOMAはビートルズの故郷であるイギリスに旅立ったのである。
おれの勝負ヘアー・・・その後、やはり薬に負けて頭皮がかぶれた。かさぶたができた。あの後は、できるだけ頭髪を痛めないようにと思い、茶色に染めたことはあっても脱色はしていない。もう、若くはない。身体も、髪も、もちろん頭皮もだ。 髪は、人を変える。化粧も、衣装も、人の気持ちを変える。 『きっかけは・・・ビューティコロシアム!』である。 W杯の時期になると、あの頃のハイテンションを思い出す。
OMA |
|
アマチュアバンドの登竜門 02/05/08
OMAです。新緑の秋田はホントに爽やかな風が吹いています。 おれは、この季節が大好きです。自分が生まれた月でもあるということが要因のひとつとなっていますが、冷房も暖房も必要ない5月が一番過ごしやすいですね。 夜は多少冷え込むこともありますが、“BEE GEES/first of may(若葉のころ)”を聴きながら、深夜にこの一文を書いています。
さて、昨年に引き続き、今年も秋田県峰浜村のアマチュアバンドを対象とした音楽祭のプロデュースをさせていただくことになりました。 昨年は、ゲストにあんべ光俊音楽旅団を迎え、ホントに楽しい盛り上がりの中、最後は大輪の花火で締めくくりました。出場してくれたアマチュアの皆さんも、それぞれ実力派のバンド揃いで、長年にわたり音楽を心底楽しんでいることが見た目にもはっきりとわかりました。 学生の頃までは、一生懸命バンドをやるものですが、社会人になると仕事の忙しさや周囲とのつき合いの中で、自然とバンドから、そして楽器をプレイすることから離れていく人が多いようです。 そんな中、中年のオヤジ世代になっても、バンドが好きで、音楽が好きで、プレイすることが大好きな人たちを、おれは応援しています。仕事が大変なことは百も承知です。でも、その日々の生活の中で、バンドを続ける喜びがあることを実感しながら、実践しているバンドたちがおれは大好きです。しかも自ら楽しみながら・・・。 昨年は遠路はるばる大阪から参加してくれた“BABAS”のメンバーを含めて、自分の住んでいる地域でしっかりと日常の仕事をしながら、バンド活動を続けている方々の演奏をじっくりと拝見しました。 みんな、オフステージでは、ただのオッさんだけど、一旦ステージに上がると、生き生きとして顔が輝き始めるのです。思い思いの衣装を身にまとい、ある方はカツラを被って大変身!!!さっきまで控え室にいて、秋田弁で話しながら、弁当バクバク喰っていた短パン姿のオヤジの姿は微塵もありません。いやいや、みんなホントによくやってくれました。これだからオヤジのアマバンはおもしろいのです。 小泉流に言うと、『生活の痛みに耐えて、よくがんばった。感動した!!!』。 それぞれの思いを胸に抱きながら、一夜のロックショーに生命を賭けてくれました。
一方、若い子たちは真剣です。まだまだこれからの中学生のバンドや、高校生のバンドにはこちらも真剣に適切なアドバイスをさせていただきました。将来はもしかして彼らの中からプロが生まれるかもしれませんので・・・。後進を育てていくという心も忘れてはおりません。 この音楽祭は、出演者とスタッフの全員で作り上げていきます。実行委員のスタッフたちもみんな心根の優しい秋田のいい男揃いです。酒も強いですよ、恐ろしいほど。 今年のバンド自慢の皆さんの応募を心よりお待ちしています。ロックに限らず、いろんな形態のバンドや個性的なスタイルの方々の応募を楽しみにしています。 全国に秘かに棲息?するオフコースのコピーバンドももちろん可です。本人(OMA)の前で、“のがすなチャンスを”のドラムソロでもなんでも、やってください!!! 大歓迎です。 昨年も、このABC-WEBのおれの案内を見て応募してくれた方々が多数おりました。 暑い夏の終わり、黄昏時にはポンポコ山イベント広場のステージには爽やかな海風が吹いてきます。さて、今年はどんなドラマが待ち受けているのでしょうか。 それでは、皆さんのお越しをお待ちしております。
OMA
ポンポコ山音楽祭/アマチュアバンド募集要項
秋田県峰浜村では、平成13年に引き続きアマチュアバンドを対象とした音楽祭を開催します。 峰浜村では、アマチュアの皆さんが野外ライブを楽しめる場として昨年からポンポコ山公園屋外ステージを提供しています。応募条件としてジャンルは問わず、アマチュアミュージシャンであることのみです。 音楽祭のプロデュースは、現A.B.C.メンバーの大間ジローさんが昨年に引き続き出場者選考委員長も兼ね行います。参加するに当たり、特別な賞などは設けていませんが、演奏等に対する大間さんからの適切なアドバイスなども随時予定しています。 峰浜村の夏祭りを大間さんと一緒に盛り上げてくれるアマチュアの皆さんの申し込みをお待ちしています。
|
|
新緑の季節のイベント2連発 02/05/06
OMAです。緑が美しい秋田でのイベント2連発のご案内をいたします。 まずは、今年の私の活動のもうひとつの目玉になりそうな津軽三味線と和太鼓とドラムの異種格闘技?セッションが、今週末また行われます。 興味のある方、近郊にお住まいの方は、どうぞいらしてください。A.B.C.とは違う顔のOMAをお見せできると思います。若い芸達者な黒澤君や、和太鼓奏者として今が旬の大沢しのぶ嬢と共演する時は、ドラマー=打楽器奏者としての原点の自分に帰っています。いつもスリリングで楽しみにしているセッションなのです。 チケットは残りあと僅かだそうですので、ご予約はお早めに。おれたちと一緒に春の宴を楽しみましょう! ちなみに今回の会場の北秋くらぶさんは大館市の老舗料亭で、この秋開催予定の「ABC-LIVEと旨し酒の旅/2002北東北ツアー」でのライブにもいち早く名乗りをあげてくれております。この『秋の宴』の方もお楽しみに! 大館は私の準ホームタウンでもありますし、忠犬ハチ公と比内鳥、そして、きりたんぽの里でもあります(新米の季節の北秋くらぶのきりたんぽは絶品ですよ!)。 今回のライブはお料理付きでこの値段です。お料理の方もお楽しみに!!!
そして、次は秋田の地酒ファンにうれしいお知らせをいたします。 公私ともにいつもお世話になっている、秋田県能代市の天洋酒店・浅野さんがこんな楽しい秋田の地酒のイベントを企画しました。 彼が推薦する県内の蔵元が五蔵参加する、このイベントですが、酒好きには堪らない企画となりました。おれも当日はもちろん参加しますし、和太鼓の大沢しのぶさんとミニライブも予定しています。また、漫画家で酒匠(利き酒名人)の高瀬先生や、大道芸人のおいかどいちろうさんも参加されるそうです。 地酒の銘産地「秋田の酒っこ」を存分に堪能していただきたいと思います。 これもまた楽しい会になりそうですね!!!
OMA
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
新学期の始まり 02/03/29
春です。桜の季節です。東京始め、全国的にも今年は春の前倒しで花見会もできずじまいの方々もたくさん居られたようですね。 北国もそろそろです。秋田市の佐竹の殿様の城跡である千秋公園、角館町武家屋敷の枝垂れ桜、青森県弘前市の弘前城、岩手県盛岡市の岩手公園などこれからが旬なお花見の季節となります。いらっしゃい、北東北へ。いいわよ、なかなか風情があって。 以上、OMAの北東北観桜情報でした。
春と言えば、出逢いと別れ。幼いころの新学期を思い出します。 学年が上がり、廊下に張り出されるクラス替えの表にドキドキしながら、登校したこと。憧れだったあの子と同じクラスになり、しかも出席番号で隣同士になったこと。 でも、その子はスポーツ万能で当時テニス部のレギュラーで活躍していて、腕を見たら結構太くて、しかも陽に焼けて黒くて、腕の毛もそれなりにあり、可愛いお顔とは正反対のしっかりとした体つきにびっくりしたこと・・・。 OMA少年の、そんな甘酸っぱい幼いころの恋の思い出話・・・実はたくさんあります。 惚れっぽかったですね、当時のおれは。今は・・・さすがに歳をとりました。 新学期の始まりは、いつもワクワク感とドキドキ感が交錯した微妙な心の揺れがありました。担任の先生のことで、この先の一年が重く感じてしまったり、好きだった子と同じクラスになれたことだけで救われたりで、少年期というものは毎日がいまとは違う意味で、晴れたり曇ったりの日々だったように思います。 新学期、新しい職場には不安がつきものです。皆さんはどんな春を迎えようとしていますか。
さて、この春からABC-WEBのトップページが少しだけリニューアルしました。 私たちのWEB SITEを応援してくださる方々のバナーコーナーを新たに設けました。 気軽に遊びにいってみてください。クリックしても料金はただですのでご安心を! 今日は、ご協賛いただいた方々のことを少しだけご紹介いたします。 過剰に褒めるとあまりに胡散臭そうなので、適度にヨイショ(すみません!ホントに感謝いたしております!)させていただくことにします。
《ホテルロイヤル盛岡》 盛岡市にあるホテルロイヤルグループは、駅前と中心地に三ヵ所のホテルがあります。 北東北の玄関口である古都・盛岡市は情緒あふれる私も大好きな街です。実はこの夏、岩手・盛岡の皆さんにうれしいお知らせがあります。このほどABC盛岡ライブが決定しました!! 詳細はもう少し後になりますが、ホテルロイヤル盛岡グループのサポートを得てこのライブが実現することになりました。なにしろ14年ぶりの盛岡公演、とてもとてもうれしく思っています。このライブと共に盛岡を起点とした北東北廻りツアーを企画してみては如何でしょうか。冷麺、南部そば、南部杜氏のお酒など、見どころ食いどころも満載の岩手県と盛岡市周辺。ツアーの締めの聞きどころはABCライブで決まりでしょう。楽しい企画にしますので、どうかお楽しみに。
《MARTIN CLUB JAPAN》 このほど、黒澤楽器/MARTIN CLUB JAPANが発行する小冊子のための取材を受けました。 それで、2/8のお台場ライブに来ていただきました。ギタリスト、いや音楽を志す人だったら一度は憧れるギター・・・それは、MARTIN(マーティン) 。鈴木雅之さんではありませんよ! しかも品番はD-45。これはオフコースの2人が当時所有していて、初めて本物に触れた時はいたく感激したのでした。いま、清水&松尾も愛用しているMARTINのギター。この時の取材がご縁で、MARTIN CLUB JAPAN主催のアコースティックライブにも、このほど出演が決まりました。しかも、YASSさんも出るんだよ!すっげー!!! でもジョイントはないよ、言っておくけどね。このライブの前に、ABC単独の目黒ライブに来て、そしてその後に、MARTIN CLUB JAPANのライブにも来て下さいね。OMAのお願いです。MARTIN CLUB JAPANのサイト、ギター好きなら必見です。 ドラム好きも宜しく!
《打越歯科医院》 我がサイトでは比較的お馴染みの、打越岳さんが院長を務める岩手県遠野市にある打越歯科医院。柳田国男作の遠野物語で有名な情緒豊かなこの街ですが、もちろん、あんべ光俊さんの歌(遠野物語)でも情感たっぷりにこの街のことが唄われています。打越先生は、この町で育ち、この町で開業して早や5年目を迎えます。今から二年前のあんべさんのライブで出逢いましたが、楽しいこととワクワクすることが大好きな方です。忙しい時間を見つけて東京や地方でのABCのライブにも足を運んでくださる心優しい打越先生・・・通称GAKUさん。ちなみに技術(腕)は確かです。お子ちゃまにも優しい先生ですよ。サイトの中にも遠野のご案内が満載です。超お奨めラーメン屋もありますよ。今年こそ遠野に行くぞ!
《喜久水酒造》 私のエッセイにも、たびたび登場する秋田県能代市にある喜久水酒造さん。エフエム秋田の番組でもお世話になっています。この蔵元と出逢ってから、私の日本酒に対する認識が変わりました。杜氏の名前を冠にした大吟醸酒の発売、一升10万円のお酒、トンネル地下貯蔵、醸蒸多知(かむたち)修業と称しての短期無料酒づくり体験などユニークなアイディア満載の6代目平沢喜三郎社長の存在は、現在の日本酒業界にとって貴重なものです。7代目予定の喜一郎さん(27歳、独身)は、市内の小売店の天洋酒店・浅野さんと共に、休日に蔵を訪れる全国からのファンの対応に忙しい毎日を送っています。能代工(バスケ)、十八番(ラーメン)と共に全国に誇れる能代名物のお酒の魅力を堪能して欲しいと思います。
《あんどう矯正歯科クリニック》 秋田市で開業している安藤葉介先生は、北海道大学歯学博士の肩書きを持ち、日本矯正歯科学会の認定医にもなっています。と、書くといかにも堅物のようですが、以前まで髪はロン毛で茶パツ。しかもお酒が好き、旨いモノ大好きでこの人は一体何物なんじゃ?と思ったほどでした。しかし、病院に遊びに行くとグレイの手術着で、まるで本物のドクター?と見間違いそうでした。先生、ごめんなさい、あなたは本物でした!! 一旦診療に入ると、さすがに歯学博士たる所以、腕はすこぶる確かでした。 おかげさまで我が娘もお世話になり笑顔が素敵な女の子に変身! 絵心もあり医院の壁には自身のイラストが描かれており、内部もゆったりとした空間を演出していてセンスの良さを感じます。
《館の井・沼館酒造》 昨年、ABCで初めて行った蔵ライブ企画に真っ先に名乗りを挙げてくれた沼館酒造さん。秋田県南部の穀倉地帯である雄物川町に位置する老舗の蔵元です。そのこだわりのひとつは水。豊穣な地域であるがゆえの水と米をめぐっての戦いは平安時代後期、奥州出羽を舞台に繰り広げられた「後三年の役」。そこには水に守られた「沼の柵」がありました。難攻不落の砦の本丸跡は、現在「沼館」と呼ばれていて社名にもなっています。その館跡の湧水で醸し出す酒。時間を超えて、雄物川の良質な水の恵みが、故郷の酒として人の心を繋いでいます。飲み口は、すっきりとしていて美味しいお酒ですよ。次期後継者として只今修業中の小柳(おやぎ)秀雄さんは、25歳の音楽大好き青年。今年の秋には、ABC蔵ライブ'第二弾も決定しています。乞うご期待。
以上、OMA営業部長?のサイトリポートでした。 心ある皆様のサポートで、心機一転ABC-WEBを頑張って運営してまいります。 これからも、応援宜しくお願いします。遊びにいってあげてね!!!
OMA
|
|
興奮さめやらず 02/03/28
興奮さめやらず・・・です。 何のことって? 先日の津軽三味線ライブです。 3/1の津軽三味線と和太鼓セッションより、モードが復帰できないでおります。 いやいや、どうしよう。この先のおれのドラムにも、“ドンドン・ドドドント・ドンドドドン”と和太鼓リズムが随所に聴かれるかもしれません。 昔からおれの中には、しっかりと和太鼓やお囃子のリズムはあったんだもんね。 だから先祖帰りしているのかもしれないと思いつつ・・・。 未だ邦楽モードにはまりつつある中、先週3/22のJ'S SOUND BOXでは、ついに津軽三味線若手奏者特集と、先日のライブの模様を一曲だけオンエアーしました。
さて、OMAが選んだアーティストと曲目とは・・・。
BG-1.上妻宏光/津軽じょんがら節 OA-1.上妻宏光/遊-YOU-
BG-2.吉田兄弟/津軽よされ節 OA-2.吉田兄弟/あゆみ
BG-3.木下伸市/津軽音頭 OA-3.木下伸市/花の鳥
BG-4.木下伸市/津軽タント節 OA-4.黒澤博幸&大沢しのぶ&大間ジロー/即興曲“天・地・人”
BG-5.高橋竹山/津軽三下り OA-5.高橋竹山/新津軽じょんがら節
いい意味で若さがあり、新たな邦楽の担い手として注目されている上妻宏光君。 キーボードの使い方やポップな曲を聴いていると、なにやら新時代到来という予感がします。なかなか聴きやすく好きな曲がありました。 そして、いまや全国のライブで引っ張りだこの吉田兄弟。マスコミ先行でいままで聴く機会がなかったけれど、テクニックもしっかりしているし、ラテンパーカッションの使い方がおもしろい。ただ、このブームが去ったあとが正念場だとは思います。 一方、津軽三味線の天才と称されるほどのテクニシャンである木下伸市氏。津軽三味線の全国大会のチャンプの中のチャンプだそうで、CDを聴くとなるほどと思いました。 やはり、聴き手をうならせるものがあります。和太鼓の巨匠・林英哲氏との共演はライブで観てみたい!それとドラマー&パーカショニストで、和楽器の心得もある仙波清彦氏との共演は、はっきり言って素晴らしい出来です。仙波さんも天才かも!
邦楽の世界も変わりました。尺八の世界にも新たなアーテイストが出てきているし、日本古来の伝統楽器を使用していながら、エンターテイメント性も打ち出している方々が続々と現れているようです。こりゃ、ホントにおもしろいことになりそうですよ。 その昔、おれたちは洋楽(ロック)に憧れ、まずは模倣から始まりました。その当時、邦楽には見向きもしませんでした。唯一、高橋竹山さんのアルバムだけは我が家に一枚あっただけです。その竹山師の演奏をコーナーの最後にかけました。 『やはり、何かが違う・・・』。 その時、陳腐なおれの感想などとても言えなくなりました。若い人たちもこの先、あの名人の域まで到達するか否かは自身の精進にかかっていると思いますが、もう二度とあんな形の方(芸人)は生まれないと思いました。 徹底的な一芸に勝るものなし。竹山さんの時代は、ある意味で差別との戦いの歴史でもあったのです。このことは、前回書いていますので敢えて触れませんが。 生命がけで三味線を弾き、生きてきた人の凄味が、音に現れています。音がヘッドホンを通して確かに伝わってきた一瞬・・・鳥肌がたちました。
おれはこれからの邦楽に、津軽三味線の世界にとても期待しています。身近に黒澤博幸という奏者もいることだし、彼を応援しながらも、新時代の若い弾き手を見守っていこうと思っています。つい先日も能代市の、酒どこ“べらぼう”での酒の会の余興で、彼のライブをプロデュースしました。あらためて凄いテクニシャンだということを思い知らされました。黒澤は、なかなかの芸人です。その時、3/1のライブの感動が蘇りました。あの日は、邦楽と洋楽の化学反応を起こした一夜でした。 機会がありましたら、ぜひ黒澤博幸のライブに一度足を運んでみてください。
さあ、モード・チェンジ。モードを換えるぞ。どーも、どーも。 4/18の目黒ライブに向けてがんばります。
OMA
|
|
おかげさまで一周年 02/03/01
おかげさまで、このたびABC-WEBリニューアル一周年を迎えることができました。 月日のたつのはホントに早いものですね。 その記念ということで、昨年秋に行われた“ABC-LIVE&旨し酒の旅2001北東北ツアー”青森県南郷村JAZZの館でのライブの舞台裏の模様を、共演してくれた“MAC TAC SPECIAL”のマック桜田くんが5分の動画をプレゼントしてきてくれました。 マックの並大抵ならぬ労力に心から感謝すると共に(使用機器はやはりMACだそうです)、こんな感じで皆さんの身近なところにも要望があれば行きますよ、というひとつの雛型になる動画です。
いまから数年前の、あんべ光俊ライブでの出逢いからはじまり、このようにして彼らがA.B.C.のライブを企画してくれて一連の青森のライブ2ヵ所が実現しました。 彼らにとっても、数年前までは我々とのジョイントライブができるなど夢のまた夢だったと話してくれました。 もし、A.B.C.のファンの方々の中で、このようにして自分の住んでいる街でABC-LIVEを行いたいと切に希望する方がいれば、いろいろな面でお話を伺い実現の方向に向けて、これからは対応していきたいとも思っています。 まずは気軽にWEBMASTERまでメールでお問い合わせください。
あの時、“MAC TAC SPECIAL”のメンバーはとてもひたむきでした。 ライブが決定する打ち合わせに、春の青森・十和田市に出向いた時も一生懸命さがひしひしと伝ってきました。いろいろな面で、ライブ当日までたいへんな労力があったと思いますが、彼らのやる気に『これは成功する!』と確信したことを覚えています。 そして、終了後は不思議な連帯感というか、ひとつの絆みたいなものが生まれていたことに感動しました。 マック、たまりん、そしてMAC TACのメンバー、あらためてホントにありがとう!!! 今年も一緒にライブやりましょうね。
ということで、今年は要望&要請があれば、皆さんの街に出向いて行きたいと思っている今日このごろです。 まずは、4月に東京・目黒でお逢いしたいと思います。ブルースアレイ・ジャパンは初めての会場なのでとてもワクワクしています。 地方にお住まいの皆さんも、W杯直前の春のABC東京ライブツアーを組んでみてください。いま飛行機各社も割安のキャンペーン実施中です。これはおれにとってもホントに助かります。JALさん、ANAさん、これからも宜しくね。 皆さんもぜひいらしてください。久々にドラムをガツンと叩きまくりたい心境です。 冬のなまった身体をそれまでに鍛え直して、皆さんにお目にかかりたいと思います。
OMA
|
|
血が騒ぐ 02/02/20
冬の東北には、津軽三味線の音色がよく似合う。 津軽三味線は、なぜか吹雪の日に聴きたくなる。
おれは、津軽三味線を聴くと、血が騒ぐ・・・。 わがCDライブラリーの中には、あの高橋竹山師のアルバムも二枚ほどある。 生前の竹山師のライブを一度この目で観たかったと思う。 そんな風に思う人が、あと一人だけいる。おれはあの人の歌を聴くと、無性に泣けてきて仕方がない。その人の名は・・・美空ひばりである。 戦後のニッポンが生んだ大歌手の楽曲の中にも、「リンゴ追分」や「津軽のふるさと」など“津軽”を題材にした歌がある。いずれも切ない歌だ。 灰色の空、地吹雪、岩木山、出稼ぎ、降り積もる雪、舞い降りる雪、雪、雪・・・。 吉幾三、千昌夫、新沼謙治など津軽を題材にした歌に共通するものは、同じく儚くも悲しい哀愁の響きである。
津軽三味線の祖は、青森県金木町出身の盲目の仁太坊(にたぼう)こと、秋元仁太郎と言われている。1857年(安政4年)に生まれた彼の父は川の渡し守で、母は離れ瞽女(盲目の女旅芸人)だったとも言い伝えられているという。どちらも当時の最下層の民人である。 青森の津軽地方と県境を挟んだ形の、秋田県の北部にある小坂町で生まれ育ったおれは、小さいころから三味線の音や民謡に慣れ親しんできた。生前のおれの親父は、一時期だが民謡酒場も営んでいた。 おれの婆さん(父の実母)は津軽の黒石出身である。津軽三味線を聴くと、おれの中の「何か」が燃えてくるのはそのせいなのだろうか。 津軽の血が四分の一入っているおれは、津軽人のクォーターというわけか。 ちなみに親父は秋田で、祖父も秋田。おふくろは岩手で、婆さんは青森出身。ゆえに、おれはどうしようもなく北東北チックな人間なんだなあと思う。 この春は、北東北OMAルーツツアーをしてみようかな・・・。
昔の芸人たちは、門付け(他人の家の軒先で演奏してその日の食い扶持をいただくこと)で生計を立てていた。津軽三味線の奏者も含めて、県境を越えて自らの芸を披露して歩いた人たちの多くは、人々に蔑まれての辛い旅の連続であったと聞く。 そんな彼らのことを揶揄して、昔は「河原乞食」と言ったらしい。いまで言うところの差別用語である。 うちの婆さんも、おれがドラマーになりたいから東京に出ていくと告げたところ、『んがだば、てえごただぎさ、なるってが。そんたもの河原乞食どひとじだ。(お前は太鼓叩き=ドラマーになると言うのか。そんなものは河原乞食同然なんだよ)』 と、言った言葉が、いまでも忘れられない。 昔の旅芸人のことを思うと、おれの血が騒ぐ・・・。 どうやらおれにも、そんな芸人の血が流れているに違いない。
昨年の春、テレビ岩手のディレクターの紹介で、盛岡在住の若き津軽三味線奏者と出逢った。彼の名は、黒澤博幸という。 二年前に通常の仕事をやめて、プロ宣言をしたそうだ。いま東北では、ちょっと期待されている若手の津軽三味線奏者である。 その彼が秋田にやってくることになった。ローカルな話で申し訳ないが、秋田市内の創作酒蔵「和飲亭」という、とても雰囲気のある居酒屋でのライブと、大潟村のサンルーラル大潟での“食&酒”のイベントに出演のためである。 そして、和飲亭ライブの方には、女性太鼓奏者としていまや全国的にも注目を集めている大沢しのぶ嬢がゲストで出演する。 二人とも言葉数は少ないが、いまどき珍しい「本気」とその道の「王道」の人である。 もしかして、この大間ジローも、この期待されている若手の二人と「和と洋」のセッションなんかをしてみようかな、と企んでいる今日このごろである。 足手まといにならないように、若き二人から「何か」をいただけたら幸いである。
OMA
1972年、岩手県盛岡市生まれ。7歳より三味線を初め、17歳で津軽三味線を独学で始める。以来、津軽三味線全国大会に出場、数々の栄冠を手にする。 2000年、津軽三味線ソリストとしてプロ活動開始。ステージ・レコーディング等々の活動を精力的に続けている、いま東北で最も注目されている若手津軽三味線の奏者。
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
冬の日のひとりごと 02/02/12
暖かな、まるで春の陽気の東京での“お台場ABCライブ”を終え、一転して零下二度の真冬日の秋田に無事帰還いたしました。 秋田空港に泊めておいた我が愛車のナンバープレートの下には、なんと氷柱(つらら)が・・・。あらためて冬の秋田の厳しさを思い知らされたのでした。 この季節、県内では小正月行事が行われるので、秋田にとってはやはりこの寒さが必要なのだと、J'Sのアシスタント兼ミキサーでもある石川“ぶんちゃん”文子女史が以前申していたのを思い出した次第です。
あらためて、お台場ライブも無事に終わり、ホッとしているところです。 今回は、スペシャルゲストとして、“若い広場/オフコースの世界”DVD発売記念も兼ねて?当時のディレクターであったNHKの小谷秀穂さんにご登場願い、いろいろとトークをしていただきました。 事前の打ち合わせもなく、まさにぶっつけ本番での四人でのトークライブをお楽しみいただけたでしょうか。 小谷さんは現在NHK名古屋放送局に勤務されており、まさに要職に就かれている忙しいところを、わざわざお台場まで駆け付けてくれました。 当時のおれたちの印象は?と聞くと、『仁さんはやくざのおやじみたいだった』との率直な物言いが場内の大爆笑を誘っていました。 『あの当時の五人はまるで修行僧のような雰囲気だった』とも、そして音楽を創る姿勢についても素直な感想を述べてくれました。 その日は、当時のカメラマンの吉村豪介さんも、そして今回のDVD化に際して陣頭指揮を執られたNHKソフトウェアの南出貴弘さんも来ていただいていました。 “プロジェクトX”風に言うと・・・『あれから、20年の歳月が流れていた。そして、彼ら五人は、最新の映像で蘇ったのだった』と、いうことか・・・。 このころのことは、いずれこの場で語れる日が来ると思います。 とにかく若き日の、夢を追い求めていたおれたちの映像を、一度ご覧あれ。
この日はドラムレスのアコースティック・セットでしたので、最後の方の盛り上がりにいまいち不満を感じた方もおられたとは思いますが、おれたちの目論見は、しっとりとしたライブにしたかったので、なにとぞそこはお許しください。 三人でのアコースティック・セットに、城間さんが加わったバージョンのテスト的要素もありました。お台場JIMMY'Sには、あの感じがとてもいいなあ(似合っていた)という意見も多かったです。来ていただいた皆さんには、心から感謝いたします。 でも、ふだんは絶対に聞けない話・・・この日は、たくさんあったでしょう? OMAのオヤジギャグで零下を通り越して、氷点下になった方々・・・ごめんね。 その日の打ち上げは、小谷さんたちNHKチームも参加しての楽しいものになりました。 まるで、20年ぶりの同窓会のようでした。 20年の月日が嘘のように、あの当時の撮影秘話を語る吉村さんの目は、少年のようにキラキラと輝いておりました。
次の日の電車でのこと。 渋谷から乗り込んだJR山手線。座席がたくさん空いているなあ、と思ったらホームレスのおじさん(お爺さん?)が座って寝ていました。もの凄い異臭でした。 次の駅で青年が乗り込んできました。椅子に座るとすぐに奇声を発しました。すると、今度はテレビのベストテン番組の司会者(もしかしてタモリの真似か?)よろしく、『今週の第10位は、SMAP。曲は夜空ノムコウです』と、順位発表をしています。 やばいなあ・・・。 いま電車では、多くの若者がヘッドフォンを被っています。気持ちはよくわかります。 電車はストレスの宝庫ですもんね。東京で生活するということ。 その光と影・・・。
おれは東京に行くと、ストレスが溜まるようになりました。 秋田では、車移動です。自分だけの時間、空間を持つことができます。 東京では、電車移動です。緊急時以外はいつもそうです。 他人と共有しなければならない時間と空間。自分の1m以内に人がいます。 香水の匂い、タバコの匂い、整髪料の匂い、口臭・・・これが鼻につくのです。 痴漢も多いようです。春になると変な人が出てくるので女性はご注意を。 OLのA子さんは、こんな妙な胸騒ぎを覚えるそうです。 『だから私、春になると、ひどい胸さわりを感じたんです』ってかー!!! ホントに冗談抜きで、変態野郎には要注意です。 朝七時から九時までの電車には、是が非でも乗りたくないものです。 サラリーマン、OLの方々は、我慢強い。あの満員電車はおれには無理ですね。 大学受験の時に、おれはすでにノックアウトされていました。
そして、真冬日の秋田。 寒いです。一晩で30cmの雪が積もっていました。 一生懸命雪寄せをすると、一発で腰に来ます。 自宅から市内に出ると、冬なのに自転車で走るお爺様とお婆様たち。 しかも対向車線を、車道をこちらに向かって走ってくる。 あなたたちは、はっきり言って、死にたいのですか? 生命知らずなチャレンジャーだこと。ご立派、ご立派。 滑って転んだら一巻の終わり。 爺ちゃん、婆ちゃん、長生きしたかったら、ちゃんと歩道を走りなさい。 お願いだから冬場はチャリンコは小屋に入れて、外出時は嫁の車に乗せてもらいなさい。そして、歩くんだったら歩道を、ちゃんと歩いてください。 病院に行った帰りに、向かいの薬局に行くためにの道路の横断は、特に気をつけてくださいね。頼むよ、ホントに。 おれは、婆ちゃんに弱いんです。
OMA |
|
J'S SOUND BOXのこと 02/02/01
ABC-BBSでの真理子さんの“J'S”のことで・・・。 「このところ聴けていなかったので、せめて内容を・・・」というリクエストがあったので、今日は、“J'S”のことを少し書いてみようと思います。 まずは、こんな感じでエフエム秋田での番組“J'S SOUND BOX”をやっていますという進行フォーマットを、がんばって1ヶ月分書いてみましたのでご覧ください。 番組の名前の由来ですが、“J'S”は、ジャンボ尾崎のゴルフクラブではありませんよ。大間ジローの“J”ですよ。もちろん、わかりますよね。ははは。。。(寒) つまり自分の「宝箱」の中の「音楽部門」の引き出しを開けますよ、という意味から名付けました。番組開始は、1996年4月。春でした。 前年は、ちょうど松尾とのユニット“EVRYTHING SHE WANTS”が解散して、バンド活動復活への夢が破れた辛い時期でもありました。 12月に、傷心のOMAは秋田に帰りました。しかも冬の秋田です。グレーの雪空は人の心を楽しく、前向きにはなかなかしてくれませんでした。 そして年が明けた1月中旬、おれは一念発起して、高校生に混じって自動車免許取得のために教習所に通い始めました。田舎では車がないとなんにもできません。3月初旬、晴れて免許取得。41歳のことでした。
そんな辛かった時期を、このラジオが救ってくれました。 東京での生活を切り上げて、新たに秋田での本当の第一歩を選んだ自分。 まずはラジオのパーソナリティとして、自ら番組を制作し出演もというスタートを切ることができました。 この時、相棒(アシスタントMC&ミキシングD)として支えてくれたのが“ぶんちゃん”こと石川文子さんです。エフエム秋田開局と同時に入社し、がんばってきた彼女も結婚してフリーになり、その後はイベント&ブライダルの司会として活躍していました。 高校の七つ後輩でもあり、不思議なことに同じ町内に住んでいた彼女に、すべて相談しての番組企画づくりが始まりました。自分で提供スポンサーさんを見つけるため、あちこち営業に出向き、知り合いの代理店からの紹介も含め、ようやく30分番組がスタートしたのでした。
なぜ、ラジオだったのか・・・。それはよくわかりません。 ただ、“EVRYTHING SHE WANTS”のメンバーとして、神戸のKISS-FMで3ヶ月間、番組を持ちDJをしていましたが、あの震災でスポンサーさんも被災し番組は中途半端な形で終了してしまったことへの心残りはあったと思います。ちょうどおもしろくなってきた矢先のことでした。 少しのノウハウも身についていたかもしれません。 それと、このころはライブができないことへのストレスがありました。それをラジオが疑似ライブ的な位置にいてくれて、好きな曲目をかけることによって、どんなにか心が和んで、あるいはOA曲によって励まされたかわかりません。
ともあれ、こうして“J'S”はスタートし、半年後には一時間番組になりました。 当初、ぶんちゃんはミキシングだけを担当のはずが、『一人喋りはむずかしいので、ぜひ相方としてMCをしてほしい』との、おれの要望に応えてくれ、彼女にとって久しぶりのエフエム秋田への声の出演=再デビューになったのでした。 以来、六年。あの辛かった春から六年目。おかげさまで“J'S”は今度の春で七周年を迎えることになります。リスナーの皆さまに感謝。ご協賛していただいている提供スポンサーの各社の皆さまに感謝。そして、ぶんちゃん始めスタッフの皆さまに感謝。 支えていただいている皆さまに心より感謝いたします。
“違いがわかる大人の音楽番組”として、楽しく聴けて、ちょっぴり笑えて、たまにはマジで時事(じじい)放談も繰り広げている“元気が出るラジオ”を主旨にして、新旧の名盤、名曲も毎週オンエアーしています。 どうかこれからも聴いてください・・・と言ったところで、秋田県地方の方々しか聴けないのが残念ですが、この先放送著作権のこととかいろいろとクリアーしなければならない問題は多いと思いますが、ラジオの向こうに全国の皆さんがいらっしゃる、という気持ちでこれからは番組をオンエアーしていきたいと思います。 というより、A.B.C.として全国ネットのラジオ番組を持ちたいですね。それか、かねてからの懸案である“ネットラジオ”・・・。 今年の夢のひとつです。
OMA
《J'S SOUND BOX 〜fm-akita '02/01/04》 ■HAPPY NEW YEAR!〜新しい年を迎えてスペシャル OA1.PAUL McCARTNEY/vanilla sky OA2.U2/beautiful day OA3.BILLY JOEL/this is the time OA4.TUCK&PATTI/time after time ■AD-STYLISH GALLERY〜かのこ隊長のADコーナー 毎月第一週目にお送りしている秋田市大町ファッションアベニューADの旬なファッション&生活情報をお届けしているコーナー。新年最初は、B1Fにある新星堂秋田店さんを紹介。担当MCはフリーパーソナリティの永田佳乃子さん。 ◇1月度J'Sエンディングテーマ〜RON CARTER/tail feathers
《J'S SOUND BOX 〜fm-akita '02/01/011》 ■OMAイチオシ新譜特集〜OMA自身のセレクトで、OMA的観点からの新譜情報 今週は、伝説のプログレバンド“YES”の昨年発表した新譜“magnification”を紹介。 OA1.YES/can you imagine OA2.YES/magnification ■BUNのDIVA SEACHING〜石川文子がお送りしている旬なDIVA(歌姫)を紹介しているコーナー。今週は女優であり歌手でもある“CHER(シェール)”の特集。 OA3.SHEEL/CD“living proof”の中から 0A4.SHEEL/CD“living proof”の中から ■リクエストコーナー〜リクエストが来れば、時間の許す限り、エフエム秋田にある限り、随時OAしています。 OA5.ENYA/only time OA6.トワ・エ・モア/虹と雪のバラード
《J'S SOUND BOX 〜fm-akita '02/01/18》 ■OMAイチオシ旧譜特集〜OMA渾身のロック・クラシックス特集 今週は、“WHITESNAKE”の光と影を紹介。 OA1.WHITESNAKE/fool for your loving OA2.WHITESNAKE/here i go again OA3.WHITESNAKE/still of the night OA4.WHITESNAKE/sailing ships
《J'S SOUND BOX 〜fm-akita '02/01/25》 ■たまっていたリクエスト特集 OA1.ELTON JOHN/your song OA2.THE ISLEY BROTHES/eternal ■ゲストコーナー 能代・喜久水酒造七代目(予定)の平沢喜一郎さんと、能代・天洋酒店の浅野貞博さんをお迎えして、喜久水酒造の“一時”を紹介。“一時”リスナープレゼント三名様。 OA3.HEART/alone OA4.尾崎豊/ロザーナ OA5.BRYAN ADAMS/it's only love
今日オンエアーの“J'S〜OMAイチオシ新譜特集”は久々にJ-POPです。 今月は、ジャパニーズ特集月間にしようかとも思っています。 このごろ、いいユニットがいるんです。実は上の娘に教えてもらったんですが、“EGO-WRAPPIN'”といいます。一度聴いてみてください。
|
|
よいイメージで 02/01/31
1月30日、朝。 おはようございます。毎朝次々とニュースがとびこんできます。それもあまり聞きたくもないものが多い今日このごろです。 田中さんと野上さん、鈴木さん、大西さん・・・さて、この中で嘘をついている人は一体誰なのでしょうか。通常の人間の心の持ちようでは、日本国の中心部・永田町では通用しないことが判明しますよね。真実はまた闇の中に・・・なのでしょうか。 現在の政界の中で、唯一言動がはっきりしていらっしゃった真紀子議員。惜しいです。 そして大橋議員、あっさりと辞めちゃいました。全国で41万票を獲得した巨泉さん、まだ半年ですよ。主義主張の違いはあるにせよ、やり残したことはないのでしょうか。 雪印さん、おたくのバターやマーガリンで私たちの年代は育ってきました。何がどうなって、こんなことになるのですか。悲しいですね。 生きてる限り、いろんなことがあります。信じられないことも起こります。でも、それも認めなければいけないと思っています。 世の中のシフトが完全に変わったなあと実感しています。
そんな中、一昨日は大館の秋田桂城短期大学の講演に行ってきました。 この大学は県下第二の都市・大館市に位置する「人間福祉」「看護」「地域社会」の三学科を備えるいわば実践的な、平成八年開学のまだ新しい私立大学です。 今回は、「講演」というよりも、「トークライブ」のつもりで演壇なしの一人ライブスタイルで“イメージすることの大切さ”という主題でお話をさせていただきました。 ドラムはもちろん持っていきました。いつもお世話になっているCANOPUS社の15"BD、13"FT、10"TTのブルーのクラブキット。からだはMINIでも、これがよく鳴るんです。 VTRやドラムを使っての80分少々。自分でもよく話したと思います。 ハンディを感じた少年時代のこと、武道館でライブをやることをはっきりとイメージした高校時代。そして念願のプロデビューとオフコース加入、全盛、解散。その後の自立、A.B.C.としての再生の逸話やら、やっぱり話していくと熱が入っていきます。 このABC-WEBにも書いていないことまで、ライブでは披露してきました。
自分の拙い話が、子供と同じ年代の生徒諸君の心の中にどれだけ入ったかはわかりません。果たして話術もあまり巧みとは言えませんので。 彼らには、新しいキャンパスと恵まれた環境の中、将来のイメージをしっかりと持ちながら、これから社会に出てがんばってほしいと思いました。 私語もなく、しっかりとトークライブを聴いてくれた秋田桂城短大の生徒諸君、くじけないで、めげないで、くさらないで、うらまないで、あせらないで、各々の個性を発揮しながら、元気でがんばってください。 いままでも、そしてこれからも、毎日いい時ばかりではありません。雨の日も、風の日も、雪の日も、そして嵐の日もあることでしょう。それでも、君たちが元気で、自分のイメージする道に進めますように、そして、その道のスペシャリストになって本気でがんばれるように、OMAのおやじは祈ります。 大学関係者、そしてお手伝いをしていただいたスタッフの皆さん、このたびは本当に楽しい思い出になりました。こうして、若い皆さんと接点を持てたことに心から感謝いたします。ありがとうございました。
自分も、そして皆さんも毎日いろいろあると思いますが、良いイメージをして1日を無事過ごすことができますように・・・。
OMA
|
|
あるカリスマの詩 02/01/21
アントニオ猪木曰く、「元気があれば、なんでもできる。云々・・・」 「いくぞー! いーち、にー、さーん、だぁー!!!」。 最後の部分は、「1(ワン)、2(ツー)、3(スリー)、Dah!!!」ではなく、「いち、に、さん、」と、カウントするのが、このカリスマの流儀である。
そのカウントで、こんなことを思い出した。 いまから数年前のこと。アマチュアバンド音楽祭のプロデュースで秋田県内在住のアマバンを探していたところ、“ディープ・パープル”のコピーをしている女の子のバンドがいるらしいとの情報を聞きつけ、秋田市内のスタジオにお邪魔したことがあった。全員女子高生。ドラムの子はスカートでドラムを叩いていた。 お馴染みの“Highway Star”のアタマ出し(イントロ)のカウントがいきなり日本語で、「いち、に、さん、しー」と来たので驚き、あまりの可愛さに思わず笑ってしまった。 大抵のバンドは、「ワン、ツー、スリー、フォー」と英語でカウントをとるのが当たり前だったので、逆に新鮮だった。
さて、「顎の長いカリスマ=猪木」の話題に戻る。 昨年の大晦日のTBS系「猪木祭り=K1軍vs猪木軍」はVTRで観たが、なかなか面白かった。丁度、横浜でのカウントダウンライブの出番前で、スタッフの車に搭載しているテレビで途中までは「ライブ」で観ていた。 最後の安田忠夫の試合には驚いた。自称プロレス界の借金王は、勝って泣き、離婚して奥さん方に引き取られている愛娘をリング上に入れ、肩車をした。おやじの面目を保った安田の顔面は、汗と涙でぐしゃぐしゃだった。 安田忠夫・・・元相撲取りで小結まで上がった孝乃富士。大相撲を引退して猪木の元に入門して、見事に再生した格闘家である。 そして、猪木も泣いていた。猪木の涙・・・鬼の目にも涙。カリスマは本当は、とても涙もろい人なんだと思う。だっていままで辿ってきた人生、そして苦労は半端じゃないから・・・。やると言ったら、とことんやる人。また、自身やってきた人だからこそ、中途半端なやり方(闘い方)をする弟子には厳しい。 それにしても、小川直也には出て欲しかったなあ・・・。
カリスマは歳と共にユーモラスに、お茶目になってきた。 昔の猪木は鋭い刃物のような感じの人だった。燃える闘魂=アントニオ猪木。力道山の弟子にして、朋友ジャイアント馬場と袂を分かち合って新日本プロレスを創った男である。いまは当たり前となった異種格闘技の基礎を創った男でもある。 伝説のモハメド・アリ戦はテレビにかじりついて観た記憶がある。 その猪木は、いまやモーニング娘の番組にも出るようになった。時代を感じてしまう。 猪木お得意の奇襲攻撃だった、あの張り手が、「ビンタ」として、この頃は元気が出る「ビンタ」となり、「私も叩かれてみたい」と若い世代に大人気だと言う。 時代は変わった。すっかり変わってしまった。
ここで告白しよう。昔、おれはこのカリスマの信者だった・・・時期がある。 力道山の頃から大好きだったプロレスは、その祖亡き後、さまざまな派閥に別れていったが、もちろんおれはストロングスタイルの猪木派(新日本プロレス)だった。 その昔、長丁場のツアーをしていた頃、猪木のプロレスだけは録画しておいてくれと妻に頼んで出かけたものだった。ようやくの思いでツアーから帰ってきて、その夜はビールを飲みながら録っておいた猪木(新日)のVTRを観るというのが、楽しみのひとつだった。 あれは忘れもしない「IWGP」の初代王座決定戦でのこと。ハルク・ホーガン得意技の「アックスボンバー」をまともに喰らい、猪木はマットに沈んだ。ホーガンは当惑した表情でリングに立ちつくし、冴えない笑顔でチャンピオンベルトをまかれた。 カリスマは舌を出しながら失神していた。見たくない光景がテレビで流れた。 なぜか、それから急に熱が冷めた・・・。
“we are” や“over”ツアーに出ていた頃、全日本プロレスの選手たちと同じホテルだったことがある。ブッチャーや山本小鉄さんは上野駅で見かけた。 四国の空港では、アンドレ・ザ・ジャイアントとも出会っている。仁さんはその時、トイレで隣同志だったとか・・・。 全日の総帥であったジャイアント馬場こと、馬場さんは、紀尾井町の有名ホテルのレストランで何度もお見かけした。常宿というか、そこに住んでいたらしい。 馬場さん亡き後、全日はやはり揺れている。三沢はどんな道を辿るのだろうか。 一方、猪木軍の新日の方は、坂口会長と藤波社長の体制のもと、やはり話題作りが上手い。なんといっても稀代の名プロデューサーであるカリスマが、まだまだ元気で君臨しているのであるから当然と言えば当然かも。 人気レスラーと言えども、会社を運営して若手や社員たちを束ねていかなければならない。猪木も馬場さんも、それをやってきたから凄い。しかし、一癖も二癖もある連中が勢揃いしているこの業界である。いろいろなことを経験してきたと思う。 いまから数年前に、秋田市で全日の興業を観た。馬場さんは中盤の、ラッシヤー木村とのタッグでの出番だった。試合が終わった後、葉巻を吸いながら気軽にサインをしている馬場さんをロビーで見かけた。 『えっ、こんなところで、こんなことまでやるんだ・・・』と、何かジーンときた。 衰えゆく身体は誰もが承知である。それでも現役に執着してリングに上がり、全日スタイルのプロレスをやり通した馬場さん。それまで全日はあまり好きではなかったが、その時に、なんかわかるような気がした。
アントニオ猪木は、プロレス界の偉大なカリスマの一人であることは間違いない。 彼は現役を引退した。おれは、あの引退試合もテレビで観ていた。だが、残念なことに一度もカリスマの生での試合は観たことはない。 カリスマは、現在、異種総合格闘技戦の大プロデューサーとして、他のスポーツ(格闘技系)で活躍した選手の再生を手がけさせたら、この人の右に出るものはいないと言われるほど選手の潜在的な力を引き出すのが上手いとも言われている。
カリスマは詩人でもある。 大試合を控えた選手に、自作の詞を送ると言う。 安田忠夫も、その師匠から一片の詞を送られたと言う。 カリスマの、リング上でいつも口にするお馴染みの詞がある。 「己の前に道はなし。一歩踏み出したその一歩が、道となる・・・」。 なんか、いい言葉だなあと思う。 この歳になっても、なぜかやっぱり猪木には元気づけられてしまう今日この頃である。
OMA
|
|
|